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御木惇史

日本のドラマー ウィキペディアから

御木惇史
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御木 惇史(みき あつし、1983年11月30日 - )は、日本ドラマー打楽器奏者トラックメイカー画家[1]

概要 御木 惇史, 基本情報 ...

来歴

要約
視点

神奈川県横浜市生まれ。東京都品川区出身[1]。幼い頃、品川区南品川に住んでいた。祭り好きな祖母の影響もあり和太鼓神輿を身近に感じる環境で育てられた。兄の影響で和太鼓に興味を持ち、6歳で実の兄である和太鼓奏者御木裕樹へ弟子入りをする。13歳で見たライブでのドラム演奏をきっかけにプロドラマーになることを決意。その翌日にドラム教室無料体験のチラシがポストに入っており「運命を感じた」とインタビューで語っている[1]YAMAHA音楽教室に通いながら友達とバンドを組み活動した。翌年14歳でプロの舞台に立ち、ドラマーとしてプロデビュー。

2000年 17歳、ドラマー東原力哉と共演。

2003年 20歳より胡弓演奏家、楊興新コンサートに出演。

2014年 31歳、自身が主宰・運営・プロデュースする音楽・アートイベントGROOVE DE NIGHTではジャズ・ベーシスト鈴木勲と共演。

2015年からドラムと和太鼓パーカッションを織り交ぜてセッティングする独創的な演奏スタイルでソロパフォーマンスを行うようになる。それ以前もドラムセットでのソロパフォーマンス演奏はしていたが和太鼓が組み込まれることは無かった。

2017年より、Michael Kanekoのバンドメンバーとしてフジロックフェスティバルをはじめ日本国内の音楽フェスティバルへ多数出演する。同年、ファッションブランドボルコムが開催した世界同時グローバルコンテスト''ThisFirst'' (2017) 日本代表・グランプリを受賞[2]。同年9月、アメリカテキサス州オースティンで開催されたファイナルパーティーへ招待され、ドラム・和太鼓・パーカッションを融合させたオリジナルセットでソロパフォーマンスを披露した[3] 。ソロパフォーマンスでは20〜30分ほど演奏することがある。そのスピリチュアルな世界観と独特の間は和モノ・レアグルーヴの最高峰とも言われている。

2018年8月公開 ヨーロッパ発 フリースケートボードマガジン[Volcom Road Rager in Italy Movie]のドラムを担当。ラグビーオーストラリア代表ワラビーズのレセプション公演を担当。

2019年9月 南アフリカ共和国のアーティストKWELAとの合作「SEBATA 獣」を発売。同年、スノーボード オリンピック日本代表 中井孝治が軸となり製作したスノーボードフィルム『PURE JAM』へ楽曲提供。ラグビーワールドカップ2019 決勝戦にて2回公演ライブを担当。Pearl Drum(パール楽器製造)新商品 Rhythm Traveler “Black Box” CMに起用。

2020年 セイビアンシンバル / HHX  X-PLOSION CRASH16" POP画像に起用。ファッションブランドBAYFLOWキャンペーンにてさまぁ〜ず, Michael Kaneko, Baby Kiyと出演。さまぁ〜ずへパーカッションレッスンを担当。

2022年アメリカのターンテーブリスト、ヒップホップ DJ クルー The Beat Junkies メンバー DJ CURSEをフィーチャリングに迎えたソロ作品「GUM feat.DJ CURSE」をリリース。Volcom Ambassador、パール楽器製造株式会社とエンドースメント契約(モニター契約)アーティスト[1]

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作品

要約
視点

アナログレコード・配信

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演奏参加

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イベント

  • 「DAX-Space Shower Digital Archives X -THE CAMP BOOK』 Kenichiro Nishihara(西原健一郎) / Michael Kaneko ドラム参加 - 2018年9月25日OA
  • SPACE SHOWER TV『DAX-Space Shower Digital Archives X -SNOW MONKEY BEER LIVE』Michael Kaneko band ドラム参加 - 2017年4月25日OA

映像作品

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主なライブ出演

2017年

2018年

タイアップ

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受賞

  • ファッションブランド<VOLCOM>が開催した世界同時グローバルコンテスト''ThisFirst'' (2017) - 日本代表・グランプリを受賞[2]

モニター契約(エンドースメント契約)

エピソード

13歳(中学生)の頃、プロドラマーになることを決意したが練習する場所もお金もなかった。 小学校の恩師 音楽担任教師の元へ相談しに行ったところ、 音楽教師が自身のドラムセットを学校へ持参し授業で使用していた。 普段は音楽室のバックヤードに置いてあり、放課後であれば そのドラムセットを使っても良いと練習許可をもらい練習を開始することができた。 ある日、音楽担任教師が転勤することになり 「ドラムセットを転勤先に持っては行けず、これでプロドラマーに向かって頑張って」とその場でドラムセット一式を譲り受けた。 以後自身のツアーやソロ活動にて20年以上使用しており、譲り受けたドラムセットは後にモニター契約(エンドースメント契約)をするドラムメーカー Pearl Drumsと同じだったエピソードがある。[1]

脚注

外部リンク

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