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徳大寺公衡

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徳大寺 公衡 (とくだいじ きんひら)は、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての公卿藤原北家閑院流右大臣徳大寺公能の四男。官位従三位非参議

概要 凡例徳大寺 公衡, 時代 ...

経歴

右大臣徳大寺公能の四男として生まれ、同母兄の権中納言徳大寺実守の養子となる[1]。生年は不明だが、兄実守の生年が久安3年(1147年)である[1]ため、久安4年(1148年)以降と推定される。六条朝仁安元年(1166年叙爵[1]文治5年(1189年従三位非参議に任ぜられ、公卿に列する[1]。翌建久元年(1190年周防権守を兼ねるが[1]、3年後の建久4年(1193年)逝去[1]。死因は「脚病(脚気か)」並びに疱瘡とされる[1]

官歴

公卿補任』による

系譜

尊卑分脈』による

注釈

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