トップQs
タイムライン
チャット
視点
戸田華子
日本の元皇族、元華族夫人 ウィキペディアから
Remove ads
戸田 華子(とだ はなこ、1909年〈明治42年〉6月30日 - 2003年〈平成15年〉5月10日)は、日本の元皇族、元華族夫人。閑院宮載仁親王の第5女子。母は、三条実美公爵令嬢・智恵子。旧名は、華子女王(はなこじょおう)。皇籍離脱前の身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。皇籍離脱後の名は、「華頂 華子(かちょう はなこ)」から「竹村 華子」を経て、「戸田 華子」。
Remove ads
人物
1909年(明治42年)6月30日 、閑院宮載仁親王と同妃智恵子の第5女子(第7子/末子)として、神奈川県小田原市の閑院宮御別邸で誕生した。
1926年(大正15年)12月13日に侯爵華頂博信と結婚し、「華頂 華子(かちょう はなこ)」となり、2男1女をもうけるも、1951年(昭和26年)に離婚。華頂博信との離婚後、竹村姓の戸籍を編成し、「竹村 華子」と名乗る。その後、不倫相手であった戸田豊太郎(徳川慶喜の孫娘徳川喜和子の元夫)と再婚し、「戸田 華子」となる。戦後の旧皇族関係者の離婚第1号となった。
2003年(平成15年)5月10日午前4時32分、肺炎のため、東京都調布市内の病院にて死去。93歳没。なお、葬儀の喪主は、長男・華頂博道が務めた。
親族
また、日本映画製作者連盟事務局長をつとめている華頂尚隆は、孫(華頂博道の息子)にあたる。
栄典
脚注
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads