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斉藤肇
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斉藤 肇(さいとう はじめ、1973年7月22日 - )は、静岡県富士宮市出身の元プロ野球選手(投手、右投左打)・野球指導者。
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来歴・人物
富士宮市の星陵高では2年夏に県大会ベスト8、通算44試合で407奪三振[1]。1991年のプロ野球ドラフト会議で横浜大洋ホエールズと広島東洋カープから4位指名を受け、抽選により横浜に入団。
早くからファームでは先発として投げていたが、安定した成績が残せずその後は中継ぎでの登板が増え、9年間で227試合に登板したが、一軍での登板はないまま2000年オフに戦力外通告を受け退団。二軍における227試合登板は、金剛弘樹(中日)の282試合登板に次ぐ2位記録である。また227試合はイースタン・リーグの1位記録であり、一軍登板経験がない投手として1位記録でもある。
2001年に台湾・兄弟エレファンツへ入団。2002年に日本に帰国して、社会人野球の日立製作所に入団しチームのエースとして活躍。その後若手の台頭もあり、2005年シーズン限りで現役を引退。2006年から2007年まで同チームの投手コーチを務めた。
2008年から古巣横浜に復帰し、打撃投手やスコアラーを13年間務めた。
2021年2月に学生野球の指導資格を回復し、4月より母校の星陵高等学校の職員として採用され、野球部のコーチに就任[2]。
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詳細情報
NPB投手記録
- 一軍公式戦出場なし
年度別投手成績
表彰
- CPBL
- 月間MVP:1回(2001年7月)
背番号
- 54 (1992年 - 2001年)
脚注
関連項目
外部リンク
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