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新井京太

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新井 京太(あらい きょうた、1887年明治20年)5月26日[1] - 1969年昭和44年)5月19日[2][3])は、大正・昭和期の実業家政治家衆議院議員(3期)。位階正五位

経歴

群馬県出身[1][注 1]。1920年(大正9年)協調会社会政策学院を卒業[2][3]。土木建築請負業を営む[1][3]。田島応用加工 (株) 顧問を務めた[3]

千住町会議員、足立区会議員、東京市会議員、同参事会員、東京府会議員、同参事会員、同社会委員長、東京都議会議員、同参事会員を務めた[1][2][3]

第24回衆議院議員総選挙(1949年(昭和24年)1月執行)東京都第6区から選出された聴濤克巳公職追放中島守利の死去に伴い1952年(昭和27年)3月に実施された補欠選挙で初当選[3][4]。次の第25回総選挙でも再選された[5]第26回第27回総選挙ではいずれも次点で落選[6]。1958年(昭和33年)5月の第28回総選挙で再選され[7]、衆議院議員に通算3期在任した[2][3]。この間、第2次岸内閣行政管理政務次官、地方制度調査会委員などを務めた[2][3]。その後、1960年(昭和35年)11月の第29回総選挙に立候補したが落選した[8]

1965年(昭和40年)4月の春の叙勲勲四等に叙され、旭日小綬章を受章する[9]

1969年(昭和44年)5月19日、死去した。81歳没。翌20日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付をもって正五位勲三等に叙され、瑞宝章を追贈された[10]

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脚注

参考文献

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