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新宿区立牛込仲之小学校
東京都新宿区にある小学校 ウィキペディアから
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新宿区立牛込仲之小学校(しんじゅくくりつ うしごめなかのしょうがっこう)とは、東京都新宿区にある公立小学校である。
概要
沿革
- 1908年(明治41年)9月1日 - 東京市牛込尋常小学校として開校。同日、校章ができる[4]。
- 1911年(明治44年) - 第1回卒業式挙行。
- 1923年(大正12年)9月1日 - 12時頃に発生した関東大震災により、屋根瓦と壁に僅少の被害があった。なお、校舎は避難者収容所となり、9月は休校した。
- 1925年(大正14年) - 理科室ができる。
- 1930年(昭和5年) - 校歌ができる。(作詞:高野辰之、作曲:信時潔[5][6])
- 1931年(昭和6年) - プールができる。
- 1937年(昭和12年) - 新校舎が落成する。流線型模範校舎として新聞に紹介される。校旗を新調する。
- 1941年(昭和16年) - 国民学校令により、東京市牛込仲之国民学校と改称。
- 1944年(昭和19年) - 戦局の悪化により、栃木県芳賀郡市羽村、祖母ヶ井町、七井村、益子町に分かれて疎開する。残留児童とともに、帝都防衛部隊、通信部隊が校舎の一部を使用する。
- 1945年(昭和20年)
- 時期不明 - 学区域戦災のため罹災者を収容する。集団疎開児童が帰ってくる。
- 9月24日 - 余丁町国民学校(現在の新宿区立余丁町小学校)を統合する。
- 1946年(昭和21年) - 東京都牛込第六国民学校と校名を変更する。
- 1947年(昭和22年) - 学制改革により、東京都新宿区立牛込第六小学校と改称。牛込第六小学校母姉会が誕生する。
- 1948年(昭和23年) - 東京都新宿区立牛込仲之小学校と改称。新しい校章ができる。
- 1949年(昭和24年) - 児童科学教室が開設される。牛込仲之小学校PTAができる。
- 1955年(昭和30年) - 学校文集「さんご樹」が創刊される。
- 1957年(昭和32年) - 開校50周年記念式典挙行。式典に元文部大臣天野貞祐が参列。
- 1958年(昭和33年) - 図書館開館。
- 1964年(昭和39年)10月10日 - 旧国立霞ヶ丘競技場陸上競技場にて挙行する第18回夏季オリンピック東京大会開会式にて本校児童により編成する鼓笛隊が参加[2]。
- 1990年(平成2年) - 新校舎落成。
- 1994年(平成6年) - コンピューター教室完成。
- 1998年(平成10年) - 新宿区立牛込原町小学校を統合。
- 2008年(平成20年)3月8日 - 117人118脚を行い、ギネス記録を達成[7]。
- 2009年(平成21年)3月 - 第100回卒業式挙行。
- 小学校の児童数と教員数[8]
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通学区域
- 新宿区立牛込第一中学校
- 新宿区立牛込第二中学校
- 新宿区立牛込第三中学校
- 市谷本村町(4~6番・7番<1号・4~19号>・8~10番・42番)
アクセス
出身者
周辺
- 東京都道319号環状三号線
- 新宿区立薬王寺児童館
- 浄栄寺
- 蓮秀寺
- 警視庁第五機動隊
- 東京韓国学園
- 東京女子医科大学
- 早稲田大連携先端生命医科学研究教育施設
- 彌生記念教育棟
- 東京女子医科大学病院
- 総合外来センター
- 社会福祉法人幸会原町みゆき保育園
- 成城中学校・高等学校
- 中央大学市ヶ谷キャンパス
- 記念館
- 防衛省本省
- 市ヶ谷政府刊行物発送センター
脚注
関連項目
外部リンク
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