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日下部明男

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日下部 明男(くさかべ あきお、1935年11月3日 ‐ )は、日本の高校野球指導者、元社会人野球選手(内野手)。京都府出身。

概要 基本情報, 国籍 ...

来歴

平安高等学校在学時、1952年第24回選抜高等学校野球大会1953年第25回選抜高等学校野球大会に出場[1]。前年は試合出場できなかったが、3年次は初戦(2回戦)の京都市立伏見高等学校との京都対決に5番三塁手として出場、2‐3で敗退した。明治大学進学後も三塁手で、のち主将を務め、1958年に明大卒業後は日本通運硬式野球部に進み、都市対抗野球大会に3度出場している。

1967年1月に比叡山高等学校に野球部監督として招聘され、同時に保健体育教師となる。当時は同好会レベルだったが、この春に間柴茂有の勧誘に成功、間柴が3年になった1969年第41回選抜高等学校野球大会に同校を甲子園初出場させ、1983年まで春夏7度の甲子園出場を果たした。その間には、1978年第50回選抜高等学校野球大会群馬県立前橋高等学校松本稔に、本大会史上初の完全試合を喫したが、1979年第61回全国高等学校野球選手権大会では、滋賀県代表として初の選手権勝利を上げ、ベスト8まで進出している。1983年第65回全国高等学校野球選手権大会以降は甲子園から遠ざかり、1993年で引退した[2]

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指導した選手

出典

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