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日本における女城主の一覧

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この項目では、日本における女城主、すなわち女性の身でを与えられた武将を列挙する。

定義

この一覧は以下の人物を含む。

  • 女性で武家の家督を相続したため、必然的にその本拠である城を相続したとみなされるもの。
  • 男性当主の死去や追放などにより、その奥方や娘などが変わって城中を統率する立場になったもの。
  • 大名が合戦などにより奪った城に、女性が統率者として派遣されたもの。

この一覧は以下の人物を含まない。

  • 城中で強大な権力を振るったが、城主が別に存在するもの。
  • 通常は城とみなされない、陣屋などの主であるもの。
  • いわゆる現代の「名誉城主」「一口城主」など、城を実際に統率する権限のない象徴的なもの。

以下の人物は女城主に準ずる人物として別項で列挙する。

  • 形式上は当主が別に存在するものの、公的文書を自らの名で発行するなど実質的な領主として振る舞ったもの。
  • 主となった建造物が城とみなされるか議論があるもの。

一覧

年代順に示す。複数回、または複数の城の城主になった場合はその都度記す。

さらに見る 氏名, 所属大名 ...
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女性城主に準ずる存在

  • 洞松院 - 置塩城を本拠とする赤松氏当主の後見人となり、所領安堵や諸役免除などの発給文書を自らの印判を用いて発行するなど事実上の当主の役割を果たした。
  • 池田せん - 『当代記』に一万石を領していたとの記載があるが、詳細は不明。
  • 茶々 - 天正17年(1589年)に、鶴松を懐妊したことにより産所として淀城(現在の淀古城)を与えられたことにより、「女城主」と形容されることがある。
  • 清心尼 - 夫八戸直政の死去により、根城を本拠とする八戸氏の当主となる。江戸時代では極めて珍しい女性当主だった。しかし、根城は1592年に豊臣秀吉の命により破壊され館だけが残っている状態だったという。

脚注

関連項目

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