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日根荘

大阪府(和泉国)に置かれた鎌倉時代の荘園。国史跡。日本遺産。 ウィキペディアから

日根荘
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日根荘(ひねのしょう)は、鎌倉時代天福2年/文暦元年(1234年)に和泉国日根郡に立荘された九条家家領荘園。同地の歴史的景観を構成するものの中から、14か所が1998年平成10年)に「日根荘遺跡」として国の史跡に指定され、2005年(平成17年)に長福寺跡が、2013年(平成25年)に土丸雨山城が追加指定された。

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日根荘
日根荘
※座標値は長福寺跡

歴史

長滝荘東北院領)の東に広がる荒野であった当地では、元久2年(1205年)と貞応元年(1222年)の2度、いずれも高野山によって開発が企てられたものの中止に終わっていた。その後、天福2年(1234年)に九条道家が開発を申請したところ官宣旨が下り、日根荘が成立するに至った。九条家領は寄進地系荘園が多く、九条家自らが開発した日根荘は特異な存在であった。

当初は入山田・日根野・井原・鶴原の4村で構成されていたが、井原・鶴原の2村は室町時代中期に守護細川氏)領となった。また、入山田村は船淵・菖蒲・大木・土丸の4集落から成り、入山田4ヶ村とも呼ばれた[1]。入山田・日根野の2村は、現在の大阪府泉佐野市大木地区土丸地区日根野地区に該当し、熊取町の一部にも跨っていた。

中世当時の様子は『九条家文書』や、文亀元年(1501年)3月から永正元年(1504年)12月まで九条政基が入荘した際に記した『政基公旅引付』などの古文書から窺い知ることができ、『日根野村絵図』[2]に描かれた寺社ため池丘陵などの景観配置は現在まで保持されている。

上述の古文書や絵図にも登場し、中世荘園の様子をとどめる寺社、城跡、ため池、水路など16か所が「日根荘遺跡」として国の史跡に指定されている[3]。また、日根荘の奥に位置し、往時の景観を残す大木地区は、犬鳴山七宝瀧寺の境内を含め、「日根荘大木の農村景観」の名称で文化財保護法に基づき重要文化的景観として選定されている[4]

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日根荘遺跡指定地一覧

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脚注

関連項目

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