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日野辰次
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日野 辰次(ひの たつじ、1868年4月23日(慶応3年4月1日)[1][2][3] - 1926年(大正15年)6月9日[4])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
鹿児島県出身[4]。肥後国人吉藩、現在の熊本県人吉市の生まれ[5][6]。15歳のときに鹿児島市の三州義塾に入学[5][6]。成績優秀につき三州社の社費生に選ばれて東京専門学校(現早稲田大学)に入学[5][6]。1889年、東京専門学校英語本科卒[4]。卒業と同時に三州義塾の英語教師に任命される[5][6]。1891年、鹿児島新聞社(現南日本新聞社)の誘いにより客員として入社[5][6]。1891年10月7日[6]、鹿児島県加治木村(後に加治木町、現姶良市)の日野家に養子として迎えられ鹿児島県人となる[5][6]。明治末期には佐藤平右衛門と加治木電気会社を設立[5][6]。
1915年鹿児島県会議員に当選し[5][6]、同副議長も務めた[4]。1917年の第13回衆議院議員総選挙において鹿児島県郡部から立憲政友会公認で立候補したが7票差で落選[7]。1920年の第14回衆議院議員総選挙において鹿児島7区から立候補して当選する[8]。衆議院議員を1期務め、1924年の第15回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。
実業界では加治木電気、球磨川電気、大和護謨工業各(株)取締役を務める[4]。また、加治木工業学校(現鹿児島県立加治木工業高等学校)の設立に尽力した[5][6]。1926年に死去し、加治木町の長年寺墓地に葬られた[6]。
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脚注
参考文献
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