トップQs
タイムライン
チャット
視点

明応

日本の元号 (1492–1501) ウィキペディアから

Remove ads

明応めいおう旧字体󠄁は、日本元号の一つ。延徳の後、文亀の前。1492年から1501年までの期間を指す。この時代の天皇後土御門天皇後柏原天皇室町幕府の将軍は足利義材(義稙)、足利義澄。なお、それ以前に応仁の乱で西軍に擁立された後南朝西陣南帝が、当初は「明応」の年号を独自に制定していたことがある。

改元

権大納言甘露寺親長疫病の流行を理由に改元を発議をしたとされる(『親長卿記』延徳4年5月1日条)[1]。将軍・足利義材の強い政治的関与があった改元であるとされ、改元の上卿・実施日、更には新元号に「明」の字を用いることまで干渉したと伝えられている(『親長卿記』延徳4年7月2・10・19日各条)[2]

出典

周易』の「其徳剛健而文乎天」から。

明応期におきた出来事

出生

死去

西暦との対照表

※は小の月を示す。

さらに見る 明応元年(壬子), 一月※ ...
Remove ads

脚注

関連項目

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads