トップQs
タイムライン
チャット
視点
智恵文駅
北海道名寄市にある北海道旅客鉄道の駅 ウィキペディアから
Remove ads
智恵文駅(ちえぶんえき)は、北海道(上川総合振興局)名寄市智恵文十一線にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅である。電報略号はチフ。事務管理コードは▲121822[2]。駅番号はW51。
歴史

- 1911年(明治44年)11月3日:鉄道院天塩線名寄駅 - 恩根内駅間延伸開通に伴い開業[3][4][5]。一般駅[1]。
- 1912年(大正元年)9月21日:線路名を宗谷線に改称、それに伴い同線の駅となる[4]。
- 1919年(大正8年)10月20日:線路名を宗谷本線に改称、それに伴い同線の駅となる[4]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1982年(昭和57年)11月15日:貨物取扱い廃止[1][1]。
- 1984年(昭和59年)
- 1986年(昭和61年)
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[1]。
- 1999年(平成11年)9月28日:貨車駅舎の外壁を塗り替え。智恵文中学校の生徒がヒマワリをデザインして塗装した[12]。
- 2006年(平成18年)頃:貨車駅舎を改修[13][14][15]。
駅名の由来
開業時の所在地名(下名寄村字智恵文[3])より。
「智恵文」の名称は現在の智恵文沼のアイヌ語名「チェプウントゥ(ciep-un-to)」(魚・入る・沼)に由来し[16][17][18][19]、後年大地名化して村名となり、現在でも字名として用いられている。
Remove ads
駅構造
単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の西側(稚内方面に向かって左手側、旧1番線)に存在する[10]。分岐器を持たない棒線駅となっている[10]。かつてはホームが千鳥式に配置された相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった[17]。当時は互いのホームは駅舎側ホーム北側と対向側ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡した[17]。駅舎側(西側)が下り1番線、対向側ホームが上り2番線となっていた[17]。その他、対向側ホーム外側への、主に貨物の留置用もしくは山側からの貨物積卸用として副本線を1線[17]、1番線の旭川方から分岐し駅舎南側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[17]。交換設備運用廃止後は線路は撤去されたが、ホーム前後の線路は分岐器の名残で湾曲している[10]。
名寄駅管理の無人駅。駅舎は構内の西側に位置しホーム中央部分に接している[10]。有人駅時代からの木造駅舎は改築され、ヨ3500形車掌車[13]のヨ4053を改造した貨車駅舎となっている[10]。旧駅舎の基礎の上に設置されている[20]。宗谷本線の他の貨車駅舎と違い、外壁に華やかな藤色の鋼板が張られている[20]。塗色によるものではなく、完全に新調された外壁で、間隔が細かい波板を使用している[13]。同時に内部も再整備されている模様である[13]。改築当初は他の貨車駅舎と同様の塗色であったが(1993年(平成5年)3月時点ではこの塗色[10])、その後、外壁にひまわりの絵が描かれた時期[20][12]を経て、現在の外壁となった[20]。駅舎内にトイレを有する[20]。かつての2番線ホームは1番線ホームに比べ有効長が短かった[17]。
かつて林業が盛んであった頃は、近隣の山林から切り出した木材の積み出し駅であった。
- 外壁改修前の駅舎(2004年8月)
- 待合室(2004年8月)
- ホーム(2017年10月)
- 駅名標(2017年10月)
Remove ads
利用状況
要約
視点
乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。なお、1925年(昭和元年)から1955年(昭和30年)および1970年(昭和45年)の数値はいずれも当該年から過去5年間の平均値であり、1日平均はいずれも365で除して算出し括弧書きで記した。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
駅周辺
隣の駅
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads