トップQs
タイムライン
チャット
視点

暦応

日本の元号 ウィキペディアから

Remove ads

暦応りゃくおうれきおう、旧字体曆應は、日本の元号の一つ。南北朝時代の、光明天皇の代で北朝持明院統)が使用した[1][2][3][4]建武の後、康永の前。1338年から1342年までの期間を指す。

この時代の天皇は、北朝(持明院統)が光明天皇、南朝大覚寺統)が後醍醐天皇後村上天皇室町幕府将軍足利尊氏であった。

非常に珍しい「ら行」始まりの元号である。詳しくは「ら行の元号」を参照のこと。

改元

江戸時代柳原紀光が著した歴史書『続史愚抄』によれば、「暦応」改元の決定を朝廷が室町幕府に伝えなかったために、足利尊氏ら室町幕府の人々が改元の事実を知ったのは9月4日のことであったという[6]。このことは、洞院実夏の『実夏公記』暦応元年8月28日条からも裏付けられる[6]。もっとも、以後においても改元詔書到達後に幕府側の施行手続であった室町殿(将軍)の吉書始と管領の沙汰始が諸般の事情で速やかに行い得ない場合には公武間にて新旧別元号が用いられる場合もあった[6]

元号の出典

元号の出典は、『帝王代記』[4](※小学館『精選版 日本国語大辞典』によれば『帝王世紀[3])所収の文節「堯時有草 夾階而生〈...略...〉王者以是占暦 応和而生」[3]にある。勘申[注 1]は、時の勘解由長官・菅原公時[5]

ら行の元号

ら行」で始まる日本の元号は「霊亀」「暦仁」「暦応」「令和」の4例しかなく、非常に珍しいものとなっている。2019年平成31年)5月1日に行われた改元では新元号が「令和」になったが、これは「暦応」以来680年ぶりの「ら行」始まりの元号であった。

大和言葉(和語)における「ら行」始まりの単語の少なさについては「ら行#ら行始まり」を参照のこと。

暦応期におきた出来事

※ここでは、改元される以前の日付は改元前の元号を用いている。歴史的には、改元されることで当年の元日まで遡って改訂される場合(立年改元)とそうでない場合があって統一されていないが(cf. 改元#改元の基準点)、言うまでもなく現実の時間軸上では改元以前にその名称は存在しない。
※元号の分立していた時代であることから、起こった事象がどの勢力に深く関係するかで元号を使い分けている。併記してあるのは両勢力が直接関係している事象である。

崩御

Remove ads

西暦との対照表

※は小の月を示す。

さらに見る 暦応元年(戊寅), 一月 ...
Remove ads

脚注

参考文献

関連項目

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads