トップQs
タイムライン
チャット
視点
木俣守安
ウィキペディアから
Remove ads
木俣 守安(きまた もりやす)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。彦根藩筆頭家老、木俣家第2代当主。父は狩野主膳。母は新野親矩の娘。養父は木俣守勝。
略歴
天正14年(1586年)、小田原北条氏の家臣・狩野主膳の子として生まれる。
天正18年(1590年)の小田原征伐の後に叔母の夫・木俣守勝を頼り、その養子となる。慶長15年(1610年)、養父守勝の死去により、家督と知行4000石を相続。彦根藩藩主・井伊直継、直孝、直澄に仕える。
慶長19年(1614年)、大坂冬の陣に出陣して井伊勢の先鋒を務めるが、真田丸の戦いで負傷して夏の陣は不参加となる。元和元年(1615年)、家老となる。寛永20年(1643年)、朝鮮通信使の供応にあたる。万治2年(1659年)、藩主・井伊直澄の家督相続の御礼言上の際に、江戸城で江戸幕府4代将軍・徳川家綱に拝謁する。
寛文13年(1673年)3月10日、死去。享年88。
逸話
脚注
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads