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末木文美士

日本の歴史家 (1949-) ウィキペディアから

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末木 文美士(すえき ふみひこ、1949年9月6日[1] - )は、日本仏教学者国際日本文化研究センター名誉教授総合研究大学院大学(総研大)名誉教授、東京大学名誉教授。

概要 人物情報, 生誕 ...

経歴

1949年、山梨県甲府市で生まれた[2]山梨県立甲府第一高等学校で学び、この高校時代に嶋田義仁五十嵐勉らと親交を結んだ。1968年に卒業し、東京大学文学部に進んだ。一旦は哲學専修課程に進むが、1年後に印度哲学専修課程に転じ、1973年に卒業。同大学院人文科学研究科に進み、1978年に博士課程を単位取得退学

その後は東京大学文学部助手となった。1981年からは財団法人東方研究会専任研究員。1986年、東京大学文学部助教授に就任。1993年、東京大学に学位論文『平安初期仏教思想史研究-安然の思想形成を中心として』を提出して博士(文学)の学位を取得[3][4][3][2]1995年、同教授に昇進。2009年に東京大学を退任し、名誉教授となった。

その後は国際日本文化研究センター教授[3]総合研究大学院大学文化科学研究科国際日本研究専攻教授を兼任。2015年に国際日本文化研究センターを定年退任し、同名誉教授となった。学界では、2011年6月より比較思想学会会長を務めている。

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受賞

  • 第68回毎日出版文化賞受賞(企画部門)を受賞。共同編集『仏教の事典』(2014)に対して。

研究内容・業績

思想史研究

専攻は仏教学日本仏教を中心とした日本思想史宗教史。中世仏教史研究の分野でで知られていたが、近年は近現代の仏教思想にも関心を拡げている。末木曰く、従来の日本における近代思想史研究は福澤諭吉丸山眞男らの社会思想の側面でしか検討されてこなかった。そういった表層の思想史ではなく日本人の基層にある精神史を読み解こうと模索している。

師、指導学生

人物・思想

歌人として

高校時代から短歌の創作を始める。甲府時代は地元結社に所属していたが、上京後宮柊二の『コスモス』に参加。宮柊二に愛され、『コスモス』期待の若手の一人と目された。短歌はその後も続けるが、研究生活を優先させ、短歌界とは距離を取っている。なお夫人の節子も歌人。

交遊
  • 五十嵐勉 - 高校時代以来の親友。
  • 嶋田義仁 - 高校時代以来の親友。
「震災天罰論」をめぐる論争
  • 中外日報2011年4月26日号に「東日本大震災は日本への天罰である」という主旨の論稿[5]を発表し、これが激しい批判の対象となって論争が巻き起こった[6][7][8]
  • 東京新聞2011年9月24日号(朝刊)に寄稿した「問い直される日本の仏教(中)」という記事の中でも前出の自説を撤回しておらず、2011年11月まで批判論者との論争が行われ[9]、2012年7月に鶴見大学で行われた日本印度学仏教学会学術大会でも「震災と仏教」の題で討論が行われた。
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家族・親族

著書

単著

編著・共編

訳・解説

論文

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外部リンク

注釈・出典

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