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本多忠寄
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本多 忠寄(ほんだ ただより)は、江戸時代前期の陸奥国石川藩、三河国挙母藩の世嗣。通称は千之助、一学。
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略歴
本多忠義の七男として誕生。
嫡子のなかった兄・忠利の養子となり、延宝4年(1676年)徳川家綱に御目見する。しかし、家督を相続することなく元禄3年(1690年)に29歳で没した。代わって、忠次(長府藩主・毛利綱元の次男)が忠利の婿養子に迎えられ、嫡子となった。
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