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東日暮里
東京都荒川区の町名 ウィキペディアから
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東日暮里(ひがしにっぽり)は、東京都荒川区の町名。現行行政地名は東日暮里一丁目から東日暮里六丁目。住居表示実施済み区域である。

地理
荒川区南西部に位置し、下町的界隈が広がる町である。日暮里駅の東側、三河島駅の南側に当たる。北で荒川、北東で南千住、南で台東区根岸、南西で台東区谷中、西で西日暮里に接する。
地価
住宅地の地価は、2025年(令和7年)1月1日の公示地価によれば、東日暮里1-3-2の地点で137万円/m2、東日暮里3-30-11の地点で63万7000円/m2、東日暮里5-5-7の地点で68万8000円/m2、東日暮里6-40-9の地点で78万2000円/m2となっている[5]。
歴史
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- 1909年11月25日 - 第二日暮里尋常小学校創立(現:第二日暮里小学校、東日暮里5-2-1)。
- 1913年7月 - 町制施行、日暮里町となる[6]。
- 1916年 - 童謡『夕焼け小焼け』の作詞者である中村雨紅が第二日暮里尋常小学校の教師になる。
- 1918年4月1日 - 第三日暮里尋常小学校創立(現:第三日暮里小学校、東日暮里3-10-17)。中村雨紅が第三尋常小学校に転勤となる。
- 1924年 - 写真家木村伊兵衛氏が日暮里町(現:東日暮里4丁目)で写真館開業。1929年(昭和4年)神田に移転[7]。
- 1925年3月18日 - 大正の日暮里大火。
- 1926年10月31日 - 大火による焼失地域の土地区画整理事業竣工[8]。
- 1927年4月 - 大火により焼失した第三日暮里尋常小学校の新校舎竣工(鉄筋コンクリート3階建て)[9]。
- 1927年11月 - 大火による焼失区域の大字、字を廃して旭町1~3丁目の新大字を設置[8]。
- 1931年 - 俳優小沢昭一の父が木村伊兵衛の写真館を借り写真館開業(1933年に蒲田に移転)[10]。
- 2019年10月1日 - 東京都は東日暮里五丁目、六丁目を暴力団排除条例に基づき暴力団排除特別強化地域に指定[11]。
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世帯数と人口
2025年(令和7年)3月1日現在(荒川区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2014年時点)[18]。
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[19]。
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
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交通
鉄道
- 京成本線:日暮里駅(同上)
バス
道路
- 東京都道58号台東川口線(尾久橋通り)
- 東京都道306号王子千住夢の島線(明治通り)
- 東京都道313号上野尾竹橋線(尾竹橋通り)
施設
- 日暮里区民事務所
- 東京都立竹台高等学校
- 東京朝鮮第一初中級学校
- 荒川区立第二日暮里小学校
- 荒川区立第三日暮里小学校
その他
日本郵便
脚注
関連項目
外部リンク
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