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松平乗保

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松平 乗保(まつだいら のりやす)は、江戸時代中期から後期にかけての大名老中美濃国岩村藩主。乗政流大給松平家5代。官位従四位下侍従

概要 凡例松平乗保, 時代 ...
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略歴

寛延2年12月11日(1750年1月18日)、丹波国福知山藩5代藩主・朽木玄綱の八男として生まれた。

岩村藩主・松平乗薀の長男の乗国、次男の乗遠がいずれも早世し、三男の熊蔵(後の林述斎)は幼くかつ病弱であったため、また朽木玄綱が初代藩主・乗紀の息子であったことから、明和7年12月(1771年)、乗薀の養子に迎えられた。

明和8年(1771年)3月、将軍徳川家治御目見した。12月には従五位下・河内守に叙任された。

安永2年(1773年)4月、松平康福の娘と婚姻した。

天明元年(1781年)4月、乗薀の隠居により家督を相続し、岩村藩主となった。

天明2年(1782年大坂加番に任じられた。

天明3年(1783年)能登守に改めた。

天明4年(1784年)5月、奏者番に就任した。

天明6年(1786年)11月、日光山御名代を勤めた。

寛政10年(1798年)7月24日、西丸若年寄に就任した。

文化元年(1804年)8月、本丸若年寄に就任した。

文化3年(1806年)10月、大坂城代に就任し、位階が従四位下に昇格した。

文化7年(1810年)6月、西丸老中に就任し、大坂城から江戸城に移り、侍従となった。

文政9年(1826年)に在職のまま死去した。享年78。

長男の乗友が早世していたため、次男の乗美が家督を相続した。

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参考文献

  • 『岩村町史』「十五 岩村藩主時代 3 松平氏」 p193~p227 岩村町史刊行委員会 1961年
  • 『恵那郡史』「第七篇 第二十八章 諸藩分治 其一 岩村藩 松平氏七代」 p218~p230 恵那郡教育会 大正15年(1926年)

脚注

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