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松平信孝 (小島藩主)

江戸時代前期の大名、小島藩主。幕府若年寄 ウィキペディアから

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松平 信孝(まつだいら のぶなり)は、江戸時代前期の大名駿河国小島藩初代藩主。滝脇松平家8代。官位従五位下但馬守安房守石高は初め6000石、後に1万石。江戸幕府小姓組番頭・御側衆・書院番頭若年寄を務める。

概要 凡例松平信孝, 時代 ...
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生涯

明暦元年(1655年)、丹波国篠山藩2代藩主・松平典信の庶長子として誕生した。

寛文11年(1671年)、駿府城代であった大叔父松平重信の養子となり、延宝元年(1673年)の養父の死去により家督を継いだ。

その後、小姓組番頭・御側衆・書院番頭・若年寄と栄進する。天和3年(1683年)の武鑑では「松平但馬守」が小姓組7番組番頭として記載されているのが見える。部下にあたる小頭は仙石久尚(仙石丹波守)(1000石)。屋敷は飯田町の上。

加増も受けて元禄2年(1689年)には合計1万石の大名となって諸侯に列したことから、小島藩主となった。しかし翌元禄3年(1690年)10月17日に死去した。享年36。跡を甥で養子の信治が継いだ。

人物

有能な人物であり、史書においても「領内に善政を布き、領民を思いやる、そして文武両道の名君であった。しかし若くして病死したことが惜しまれる」と評されている。

系譜

父母

正室

養子、養女

脚注

参考文献

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