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松平乗政

江戸時代前期の大名。常陸小張藩主、信濃小諸藩初代藩主 ウィキペディアから

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松平 乗政(まつだいら のりまさ)は、江戸時代前期の大名常陸国小張藩主、後に信濃国小諸藩初代藩主。乗政流大給松平家初代。官位従五位下美作守能登守。祖母が石川康通の娘であったことから石川 乗政(いしかわ のりまさ)とも呼ばれる。

概要 凡例松平 乗政/石川 乗政, 時代 ...
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生涯

寛永14年(1637年)、美濃国岩村藩2代藩主(のちに遠江国浜松藩主、上野国館林藩初代藩主)松平乗寿の次男として誕生した。

嗣子に兄・乗久がいたため、寛永21年(1644年)4月22日、3代将軍・徳川家光に拝謁し、家光に近侍した。家光に四男の綱吉が生まれると、綱吉に近侍した。

正保4年(1647年)8月16日に従五位下・美作守に叙位・任官した。

家光没後は4代将軍・徳川家綱に仕え、慶安5年(1652年)6月4日に御小姓に任じられ、承応元年(1652年)11月7日に1000俵取りの知行を与えられる。

承応3年(1654年)に父が死去すると、その遺領から5000石を分与されて旗本となる。

寛文2年(1662年)に小姓組番頭に任じられ、同時に奥勤めも命じられた。

延宝7年(1679年)に若年寄に任じられ[1]、同時に常陸河内郡・真壁郡などに5000石を加増され、1万石の大名として常陸小張藩主となった。

延宝9年(1681年)7月22日、下総国結城郡5000石を加増されて1万5000石となる。

天和2年(1682年)3月22日に奏者番に任じられ[1]、同時に5000石の加増を受けて信濃小諸へ加増移封された[1]

小諸では同年7月に17か条の領内法度を制定し、五人組キリシタン宗門、街道伝馬の整備、田畑耕作、理不尽の儀など領民の統制を細分化した[1]。9月には小諸城内に松石山乗政寺という菩提寺を建てた。

また翌天和3年(1683年)1月には、乗政寺の中に八幡別当祈願所を置いて月光山日輪院薬師寺と称し、新田開発も行なった[1]

貞享元年(1684年)10月16日に小諸城内で死去した[1]。享年48[1]。跡を長男の乗紀が継いだ。

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系譜

父母

正室、継室

側室

  • 丹羽瀬氏

子女

参考文献 

  • 『岩村町史』「一五 岩村藩主世代 初代 石川乗政」 p194~p196 岩村町史刊行委員会 1961年

脚注

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