トップQs
タイムライン
チャット
視点
松平清定
日本の戦国時代の武将 ウィキペディアから
Remove ads
松平 清定(まつだいら きよさだ)は戦国時代の武将。桜井松平家・松平信定の長男。三河国碧海郡桜井城主(愛知県安城市桜井)。
人物

初代当主・松平信定の長男として誕生。
三河吉良氏の吉良持清の偏諱を受けて清定と名乗る。父とともに享禄9年(1529年)の吉田城(愛知県豊橋市)攻め、尾張国品野城(愛知県瀬戸市)攻めに従軍し、戦功を挙げる[1]。父の死後、家督を相続し、2代当主となる。天文9年(1540年)、安祥城陥落後、一時、織田方に与したが、安祥城奪還後は安祥家に従属した。
天文12年(1543年)10月3日に死去した[1]。享年不詳。墓所は桜井山菩提寺[1]。法名は「圓言院殿髟誉祥雄道喜大居士」。
系譜
脚注
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads