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松澤宥

1922-2006, コンセプチュアル・アーティスト ウィキペディアから

松澤宥
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松澤 宥(まつざわ ゆたか、1922年大正11年〉2月2日 - 2006年平成18年〉10月15日[1])は、日本コンセプチュアル・アーティスト(概念芸術家)。

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豊田市美術館の池に浮かぶ松澤宥の作品「白鳥の歌」

人物

長野県諏訪郡下諏訪町に生まれる。旧制諏訪中学(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1946年に早稲田大学理工学部建築学科を卒業。1952年第4回読売アンデパンダン展、第12回美術文化協会展に出品。 その後1955年、ウィスコンシン州立大学よりフルブライト交換教授として招かれ渡米、翌年コロンビア大学現代美術宗教哲学を修めて1957年帰国。

1964年6月1日深夜、「オブジェを消せ」という啓示を受け、概念芸術家としての活動を始める。

松澤の活動は瀧口修造中原佑介針生一郎等の美術評論家達に注目され1970年の第10回日本国際美術展「人間と物質」展に参加し[2]、他のコンセプチュアルアーティス トの堀川紀夫英語版(「新潟現代美術家集団GUN」所属[3])、河原温高松次郎ダニエル・ビュランハンス・ハーケソル・ルウィットマリオ・メルツ英語版らと共に美術業界英語版に紹介される。

コンセプチュアル・アートの先駆者の一人として、欧米にもその名を知られた。

1973年美学校・諏訪分校を開講する(1981年閉校)[4]

2006年10月15日、郷里の下諏訪町で84年の生涯を閉じた。

1922年2月2日に生まれたことから2という数字にこだわり、東京国立近代美術館でのパフォーマンス2月22日に行っていた。

美術評論家の千葉成夫は、著書『現代美術逸脱史』の中で松澤宥を「日本概念派」の重要人物の一人としている。塩尻市在住時代の草間彌生が頻繁に訪ね、師と仰いだ現代美術家でもある。

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主な展覧会など

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収蔵作品

著書

  • 『星またはストリップ・ショウ: 松澤宥選詩集』書肆山田 (2013年)ISBN 978-4879958853
  • 360°Graphics『九つの柱 : 松澤宥「暗黒星雲計画-見宝塔品第九」』. NCID BA66170843
  • 黒田康夫写真『遂に空マンダラハハ : 松沢宥のmillennium』クマラ企画(2022年). NCID BC16980733
関連著書

脚注

出典

関連項目

外部リンク

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