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板倉勝政
日本の江戸時代の大名、備中松山藩の弟4代藩主 ウィキペディアから
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板倉 勝政(いたくら かつまさ)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。備中国松山藩4代藩主。官位は従五位下・周防守、主膳正。板倉家宗家10代。
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経歴
初代藩主・板倉勝澄の七男として誕生した。
安永7年(1778年)2月22日、兄で先代藩主の勝従の末期養子として家督を継いだ。同年4月28日、10代将軍徳川家治に御目見する。安永8年12月16日、従五位下左近将監に叙任する。天明4年(1784年)5月15日、奏者番に就任する。天明8年6月26日、寺社奉行を兼任する。藩政においては藩校・有終館を創設した。寛政10年(1798年)5月1日、寺社奉行を辞任する。
享和元年(1801年)3月8日、病を理由に隠居し、四男の勝晙が家督を継いだ。文政4年(1821年)3月2日、63歳で死去した。法号は義正院殿天忠源然大居士。
系譜
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