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板谷進
日本の将棋棋士 ウィキペディアから
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板谷 進(いたや すすむ、1940年12月10日 - 1988年2月24日)は、将棋棋士。愛知県名古屋市出身。A級在籍6期。板谷四郎九段門下。
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経歴
日本将棋連盟東海本部長を長く務めた強豪板谷四郎九段の次男。1958年、父に入門して奨励会入り。弟弟子に石田和雄らがいる。1962年四段、1974年八段。
第11期(1967年度後期)棋聖戦挑戦者決定トーナメント決勝で中原誠に敗退してタイトル挑戦を逃した。第7期(1981年度)棋王戦は、挑戦者決定トーナメントを無敗で勝ち抜き、更に中原誠、大山康晴、谷川浩司といった並み居る強豪に勝つ健闘を見せる。さらに第9期(1983年度)では敗者復活で決勝まで勝ち抜くも、いずれもタイトル挑戦目前のところで森安秀光に敗れた。
1988年2月8日、第52期棋聖戦二次予選決勝で有吉道夫に勝利し、8年14期ぶりの挑戦者決定トーナメント進出を決めるも、結果的にこの対局が生涯最期の公式戦となる。2週間後の2月24日、47歳でくも膜下出血のため急死。九段を追贈される。
人物
親子二代の九段(他には木村義雄・木村義徳親子だけ)で、「東海の若大将」と呼ばれていた。豪快な棋風で「将棋は体力」と称していた。
日本将棋連盟理事を長く務めた。
チェスを趣味とし、愛酒家、棋書や盤駒の収集家としても知られた。
2023年の棋王戦で孫弟子の藤井聡太が渡辺明棋王を破り、棋王を獲得した。これにより板谷の悲願であった棋王のタイトルが板谷一門によって制覇された。
弟子
棋士となった弟子
(2019年2月22日現在)
- 杉本の弟子である藤井聡太から見れば大師匠である。
昇段履歴
- 1962年10月 : 四段(東西決戦) 1日
- 1964年 : 五段(順位戦C級1組昇級) 4月 1日
- 1967年 : 六段(順位戦B級2組昇級) 4月 1日
- 1972年 : 七段(順位戦B級1組昇級) 4月 1日
- 1974年 : 八段(順位戦A級昇級) 4月 1日
- 1988年 : 引退(現役のまま死去) 2月24日
- 1988年 : 九段(追贈九段) 2月24日
戦歴
- 通算成績 471勝412敗
- 棋戦優勝1回(1977年度 日本将棋連盟杯争奪戦)
- 順位戦A級 通算6期
- 第1回将棋大賞(1973年度)殊勲賞
在籍クラスの推移
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主な著書
- 『熱血将棋順位戦』(日本将棋連盟、1977年)
関連項目
外部リンク
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