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林一章
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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林 一章(はやし かずあき、1976年7月29日 - )は三重県津市出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー。JFAこころのプロジェクト「夢先生」も務める[2]。
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来歴
津西高校から中央大学に入学したが、一般受験であったため、サッカー部への入部は許可されず、大学を休学して単身ブラジルへ渡り[2]、サッカーに取り組んだ。帰国後、Jリーグ・FC東京に加入するも出場機会を得られず、1999年に中央大学を卒業し、水戸ホーリーホックへ移籍。ここでもレギュラーとなれず目立った活躍はできなかった。その後加入したデッツォーラ島根E.Cでは堅守を見せ、島根県社会人サッカーリーグ優勝など同クラブの上位進出に貢献した。
三重高校で社会科教師を務めながら[2]サッカー部の指導を行い、そのときの教え子に水本裕貴、野崎陽介、歌手の西野カナなどがいる。2003年のインターハイ長崎大会に三重高校は初出場している。2008年のインターハイ埼玉大会には麻布大学附属渕野辺高等学校で神奈川県代表として出場している。
現在は、JFAこころのプロジェクト「夢先生」や、北澤豪が主宰する「FOOTBALL COMMUNICATION ACADEMY」に参加しており、2006年には同年に開校されたルネサンス高等学校のサッカー部に創設から携わるなど[3]、サッカー普及に力を注いでいる。中田英寿が代表を務めるTAKE ACTION FCのメンバーとして2009年にはヴァンフォーレ甲府、2010年には湘南ベルマーレOBとの試合に出場している。また、デッツォーラ島根E.Cにも引き続き籍を置き、機会は限られるものの試合に出場することがある。
2013年、地元三重県の伊賀フットボールクラブくノ一のGKコーチに就任[4]。2014年9月から同年シーズン終了までは浅野哲也監督の辞任に伴い、監督代行を務め[5]、1部リーグ残留を果たした[6]。2017年10月、同シーズン限りでの退団が発表された[7] が、同年12月にコーチとして再契約した[8]。2023年1月6日、伊賀FCくノ一三重を退団[9]。
2023年2月3日、鈴鹿ポイントゲッターズのコーチに就任した[10]。監督の三浦泰年がパワハラ問題でベンチ入り停止処分を受けている間は、監督代行も務めている[11]。
社会貢献活動に極的で、とりわけシリア難民支援活動を現地、日本国内で行っている。
語学が堪能で英語、スペイン語、ポルトガル語を話す。
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所属クラブ
- 1992年-1994年 三重県立津西高等学校
- 1995年-1998年 中央大学
サン・ジョゼEC
ジャカレイーAC
- 1999年
FC東京
- 2000年-2001年
水戸ホーリーホック
- 2002年-2003年
CENTRO DE FUTEBOL EDU
- 2004年-2017年
FCセントラル中国 / デッツォーラ島根E.C[1]
個人成績
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
- その他の公式戦
- 2010年
- 第46回全国社会人サッカー選手権大会 - 1試合0得点
- 2011年
- 第35回全国地域サッカーリーグ決勝大会 - 3試合0得点
指導歴
- CENTRO DE FUTEBOL EDU
- 2003年 - 2005年 三重高等学校
- 2003年 - 2005年 三重中京大学
- 2006年 - 2012年 麻布大学附属渕野辺高等学校
- ルネサンス高等学校
- 2013年 - 2022年 伊賀FCくノ一三重
- 2013年 - 2022年 GKコーチ / コーチ
- 2014年 監督代行
- 2016年 監督代行
- 2023年 - 鈴鹿ポイントゲッターズ
- 2023年 - コーチ
- 2023年 監督代行
監督成績
関連情報
CD
- 「The Talk Survival」林一章 (林一章,HIDEMARU)ASIN B0072R5W0M - 2012年
脚注
関連項目
外部リンク
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