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林清一
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林 清一(はやし せいいち、1915年10月31日 - 1990年5月23日)は、愛知県出身のプロ野球選手(外野手)。
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来歴・人物
享栄商業学校、立命館大学を経て、1936年に東京巨人軍に入団。1年目からトップバッターとしてレギュラーに定着し、主に中堅手を務めた。同年秋季シーズンでは打率.267と15打点のいずれもチームトップの成績を記録する。また、同年には日本プロ野球公式記録上初の四球による出塁者となっている(7月1日の対名古屋軍戦で、ハーバート・ノースから)。翌1937年1月には応召により退団した。
1940年に巨人に復帰すると外野手の控えとなり、1942年から登録名を林清光に変更[1]、翌1943年まで在籍した。
1946年プロ野球が再開されると、巨人は道後温泉で春季キャンプを行う。戦後すぐの混乱期の中、林は食糧係として朝から晩までトラックで米や魚を買いに回り、時には官憲の目をくぐるなど食糧調達に奔走。当時の外野手は林を含めて3人しかいなかったにもかかわらず、林は練習に参加できなかったほど多忙であったが、林の奔走によりチームメイトは毎日三度の食事にありつけたという[2]。同年は中島治康が復帰するまで右翼手のレギュラーを務め試合数の半分近くの48試合に先発出場するが、翌1947年は平山菊二・小松原博喜の加入によって林の出番が減少してわずか8試合の先発出場に留まり、同年限りで引退した。
引退後は、読売ジャイアンツの営業施設担当総務を務めた[3]。
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詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
背番号
- 20 (1936年、1946年 - 1947年)
- 1 (1940年 - 1943年)
登録名
- 林 清一 (1936年 - 1941年)
- 林 清光 (1942年 - 1947年)
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脚注
参考文献
関連項目
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