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1946年の野球
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競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
1946年のペナントレースは8球団による15試合ずつの総当たり制の105試合で行われた。
個人タイトル
ベストナイン
この年は選出なし
社会人野球
- 第17回都市対抗野球大会優勝:大日本土木

東京六大学野球
中等野球
- 第28回全国高等学校野球選手権大会決勝(阪急西宮球場・8月21日)
- 浪華商業(大阪府) 2-0 京都第二中学(京都府)
メジャーリーグ
→詳細は「1946年のメジャーリーグベースボール」を参照
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できごと
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- 日本プロ野球は、2年ぶりのリーグ戦再開となり、セネタースとゴールドスターが加入して、1943年以来に8球団制となる。近畿日本軍は「グレートリング」、阪神軍は「大阪タイガース」[2]、産業軍は「中部日本軍」、朝日軍は「パシフィック」にそれぞれ球団名を変更している。
- 都市対抗野球大会が4年ぶり、全国中等学校優勝野球大会が6年ぶりに開催されている。
1月
3月
4月
- 4月23日 -【MLB】ブルックリン・ドジャースのレン・バーカーが対ボストン・ブレーブス戦においてノーヒットノーランを達成、スコアは5対0。
- 4月27日 - 後楽園球場と阪急西宮球場において、戦後初の日本プロ野球公式戦が開催され、後楽園において中部日本軍対ゴールドスター[3]と東京巨人軍対セネタース[4]、西宮において阪急軍対グレートリング[5]と大阪タイガース対パシフィック[6]の2試合ずつが行われた。
- 4月28日 - セネターズの白木義一郎が対ゴールドスター戦(後楽園)で、4安打3奪三振の内容でプロ入り初登板で初完封。日本プロ野球史上8人目。球団初。戦後初[7]。
- 4月29日 - 中部日本対セネターズ戦で、中部日本先発の林直明が先頭打者から日本プロ野球新記録の5者連続与四球、タイ記録の1イニング6与四球を記録。一方のセネターズ先発の一言多十もこの試合13与四球(当時日本プロ野球歴代2位)ながらも、4併殺で野手の失策による1失点で自責点0で完投勝利。スコアは6対1[8]。
- 4月30日 - 藤井寺球場における初のプロ野球公式戦、グレートリング対阪急戦が行われ、5対2で阪急が勝利する。
- 4月30日 - 【MLB】クリーブランド・インディアンスのボブ・フェラーが対ニューヨーク・ヤンキース戦において2度目のノーヒットノーランを達成、スコアは1対0。
5月
6月
7月
- 7月15日 - グレートリングが8回に対ゴールドスター戦において、8回に1イニング11安打と、1試合で28安打のそれぞれ日本プロ野球記録を更新、プロ野球史上3度目の毎回安打、全員安打を達成している。この日登板したグレートリングの別所毅彦が8回、1イニングで本塁打と三塁打を記録している。試合は26対0でグレートリングの勝利[11]。
- 7月20日 - 大阪が対パシフィック戦で22安打を放ち、日本プロ野球史上4度目の、毎回安打、全員安打を達成している。
- 7月21日 - 大阪が対セネタース戦に勝利し、6月24日からの連勝を14とした(当時の日本タイ記録)[12]。
- 7月26日 - 大阪対パシフィック戦が日本プロ野球史上最短試合となる55分で終了。大阪の渡辺誠太郎とパシフィックの湯浅芳彰の投げ合いとなり、1-0で大阪の勝ち。
8月
- 8月3日 - 4年ぶり、戦後初となる第17回都市対抗野球大会が後楽園で開催された。
- 8月9日 - 都市対抗野球大会の決勝戦が行われ、大日本土木が全桐生を3対0で破り、初優勝。
- 8月15日 - 6年ぶり、戦後初となる第28回全国中等学校優勝野球大会が開催される。甲子園がGHQに接収されていた為、全試合西宮での開催となった。
- 8月16日 - 中部日本の松尾幸造が対阪急戦で日本プロ野球通算1000投球回、史上20人目[9]。
- 8月21日 - 全国中等学校優勝野球大会の決勝戦が行われ、浪華商が京都二中を2対0で破り、初優勝。
- 8月31日 - セネタースの大下弘が対大映戦(後楽園)において、1回内藤幸三から日本プロ野球新記録のシーズン通算11号本塁打。
9月
10月
11月
12月
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誕生
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
死去
- 4月 - 石原繁三(* 1914年)
- 12月10日 - ウォルター・ジョンソン(* 1887年)
脚注
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