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柳家小満ん
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代外
- 菅の家小まん - 不明。
- つるが小まん - 後の2代目鶴賀鶴賀斎。
初代
いずれを初代とするか不明だが、飯泉真寿美の小満ん(後述)を2代目とし、以降代数を重ねる。
- 柳家小まん(1856年3月 - 没年不詳) - 元芸者。1880年代前後から寄席に清元節で出演、1910年代初期まで確認できる。本名:金沢 まん。
- 柳家小まん - 後の三遊亭桃生。
- 柳家小まん - 後の歌沢寅小満。音曲師。本項にて記述。
歌沢寅小満
柳家 小まん(やなぎや こまん)、のちの歌沢 寅小満(うたざわ とらこま、1873年1月 - 没年不詳)は、音曲師。本名:梅村 わか。
略歴・人物
古今亭今坂(梅村竹次郎)の娘。2代目富士松ぎん蝶の門で小ぎん。2代目古今亭今輔の門で小今を名乗る。のちに柳家枝女寿に改名。1895年3月に3代目柳家小さん門で柳家小春。1897年頃に柳家小三代を名乗る。1902年に柳家小まんとなる。
芸風
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2代目
二代目 柳家 小満ん(にだいめ やなぎや こまん、1892年9月2日 - 1972年6月29日)は、元落語家、百面相の芸人。本名:飯泉 真寿美。
略歴・人物
最初は天狗連に属し、浜九里を名乗った。1910年代に二代目三遊亭圓遊に入門し、三遊亭遊喬の名を与えられる。それ以降十数年にわたり旅巡業を続けた。結婚し子供が生まれたため東京に戻り、四代目蝶花楼馬楽(のちの四代目柳家小さん)の門下に転じ、蝶花楼花蝶と改名。1934年(昭和9年)11月に柳家小満んとなる。
目が悪く、ほとんど見えなかったというが、なぜか実在人物の特徴をつかんで真似るのが得意だった[1]。1955年ごろまで高座に出たが、目が一段と悪くなり引退した。
四代目柳家小せんは実子。
3代目
要約
視点
三代目 柳家 小満ん(やなぎや こまん、1942年2月17日 - )は、落語協会所属の落語家。本名:栗原 理。出囃子は『酔猩々』。
経歴
神奈川県横浜市生まれ。横浜市立金沢高等学校卒業、東京農工大学繊維工学部中退。
1961年5月、八代目桂文楽に入門し、桂小勇を名乗る。1965年3月、二ツ目に昇進。1971年12月、師匠文楽の死去に伴い、五代目柳家小さん一門に移籍。
1975年9月、真打昇進で三代目柳家小満ん襲名。
活動
1969年に本牧亭で「桂小勇の会」としてスタートした独演会「柳家小満んの会」は、2019年11月に300回、満50年を迎えている[2]。
文字で記録し、ワープロで出力した自身の落語を2015年から「てきすと」と名づけた書籍として自費出版し、一般に通信販売している[3]。
2016年までに発行された「てきすと」17巻から入船亭扇辰と柳家喬太郎がそれぞれ演目を複数選び、その中から小満んが噺を語る落語会「柳家小満んを扇辰・喬太郎がふたり占め」が2016年8月17日、イイノホールで開催された(主催:らくご@座)[4][5]。
芸歴
受賞歴
- 1973年 - 第2回NHK新人落語コンクール最優秀賞(『出来心』)
演目
古典
新作
メディア
著書
CD
- 柳家小満ん―江戸景色―(ソニー・ミュージック)
弟子
真打
外部リンク
- 柳家小満ん - 落語協会 - 落語協会
- てきすと (@komanskiclub) - X(旧Twitter)
- 柳家小満ん 口演用「てきすと」 - Ameba Blog
- アーティストプロフィール 柳家小満ん - ラジオデイズ
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脚注
出典
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