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森俊滋
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森 俊滋(もり とししげ)は、江戸時代後期の大名、明治時代の華族。播磨国三日月藩の第9代(最後の)藩主、同藩初代(最後の)知藩事。官位は従五位下伊豆守、対馬守。
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略歴
第8代藩主・森長国の次男として誕生した。幼名は松之助。天保4年(1833年)、もしくは天保6年(1835年)5月生まれと言われている。
妾腹の息子であったが、正室との間に生まれていた虎松丸が早世したため、天保14年(1843年)に世子となった。弘化4年(1847年)2月15日、第12代将軍・徳川家慶に拝謁する。嘉永元年(1848年)9月10日、父長国の隠居により跡を継ぐ。同年12月16日、従五位下・伊豆守に叙任する。
慶応4年(1868年)1月18日、上洛し、新政府支持の姿勢を示す。同年2月4日、新政府から二条城の守備を命じられる。明治2年(1869年)6月23日、版籍奉還により知藩事となり、明治4年(1871年)7月の廃藩置県で免官された。
明治12年(1879年)6月9日、三日月で死去した。法号は俊滋院殿光山日明大居士。墓所は兵庫県佐用郡佐用町東大畑の常勝院。
系譜
外部リンク
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