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横山義行

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横山義行
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横山 義行(よこやま よしゆき、1974年3月19日 - )は日本中央競馬会 (JRA) 所属の元騎手静岡県韮山町(現:伊豆の国市)出身。次男の横山琉人はJRA騎手。愛称は「ヨコギ」。

概要 横山義行, 基本情報 ...

人物

競馬学校8期生。同期には上村洋行後藤浩輝小林淳一らがいる。美浦トレーニングセンター加賀武見厩舎所属で1992年にデビュー。初年度は20勝を挙げ、関東地区の新人賞にあたる民放競馬記者クラブ賞を受賞する。

1998年から本格的に障害競走の騎乗に取り組み、その年の暮れ、ビクトリーアップに騎乗し中山大障害・秋にて重賞初勝利。同馬の故障引退後ゴーカイにめぐり会い、東京オータムジャンプを勝利。翌春、国際競走化された障害競走の中山グランドジャンプ (J・GI) にて、単勝1番人気に応え優勝。さらに翌年、同競走を連覇している。

関東圏にある中央競馬4競馬場の障害コースでは非常に安定した成績をおさめ、平地競走においても、中山競馬場ダート戦での先行抜け出し、東京競馬場(府中)・新潟競馬場コースでの強烈な追い込みや、人気薄の馬での入着が見られた。

2005年にJRA賞最多勝利障害騎手賞を獲得。2011年には障害競走100勝を達成。平地競走でもすでに100勝を達成しており、史上5人目の平地・障害100勝を達成した。

2015年1月11日に中山の障害未勝利戦でニシノゲイナーで落馬、頸髄損傷と診断された[2]。その後は復帰を目指してリハビリを重ねていたが、2017年12月31日付けで騎手を引退することになった。ニシノゲイナーの馬主・西山茂行から「騎手を断念することになったら西山牧場へ来てくれないか」と声をかけられていたが[3]、引退後はJRAの子会社JRAファシリティーズに一般社員として就職した[4][5][6]

JRA通算成績は4343戦242勝(平地123勝・障害119勝)。重賞勝利を11勝記録しているがすべて障害重賞であり、平地の重賞では1995年新潟記念(ブランドミッシェル)・2001年クイーンカップ(ショウナンバーキン)の3着が最高着順だった。

競馬新聞では横山典弘及びその息子である和生武史兄弟と区別するため、「横山義」と表記されていた。[7]。なお、彼らとの血縁関係はない。

2018年に次男である横山琉人が競馬学校に37期生として入学[8]。2021年2月に騎手免許試験に合格し、同年3月にデビューした。

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おもな騎乗馬

騎乗成績

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出典

関連項目

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