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エーシンディーエス

日本の競走馬 ウィキペディアから

エーシンディーエス
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エーシンディーエスとは日本競走馬である。2009年京都ジャンプステークス2010年京都ハイジャンプ優勝馬。馬名は冠名に父・母の頭文字。

概要 エーシンディーエス, 欧字表記 ...

戦績

2007年の12月に平地デビュー。上位人気に支持され連対実績もあり、全6戦中3戦で入着を確保したものの勝ち鞍を挙げるまでには至らず、翌2008年9月の小倉未勝利戦5着後に障害競走へ転向する。

エーシンディーエス(以下ディーエス)は障害入り2戦目で初勝利をマーク。この時の勝ち時計3:16.7は優秀なものとされ[1]オープン級の強さとも評価された[2]がその後は平地時代にも実績の無かったダートの走路[3]に苦戦が続き敗戦を重ねた。

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2009年京都JS表彰式

入障6戦目となった2009年8月、同馬は初めて直線芝のレースに出走。管理調教師である坂口正則(以下坂口)が後に「直線芝は好材料[4]」とコメントした通り、平地時代の芝適性を発揮し2着と成果を出したディーエスは好走を続け、同年秋の京都ジャンプステークスを制し重賞勝ちを記録している。

坂口はその後中山大障害を見据え中山コース初出走時に「バンケットが課題[1]」と指摘されたディーエスを再び出走させたものの「前走勝ちっぷりがいい、ただ(不利を受けたとはいえ)中山で大敗しているから気がかり[5]」と相性の悪さを懸念。その不安通りバンケットでもたつき5着敗退という結果を受けた坂口はディーエスの中山大障害出走を断念、以後同馬は中山コースを使われることはなかった。

放牧休養を挟んだディーエスは、2010年の始動戦として京都ハイジャンプに出走。休養明けや距離延長を不安視する声[6]もあったが京都コースとの好相性[7]を活かし2つ目の重賞タイトルを獲得している。

その後同馬は次走として東京ジャンプステークスを目標に調整がなされていたが脚部不安を発症し1年余りの長期休養を経て2011年夏に戦線復帰。復帰後4走するも全て凡走、無抵抗のまま失速を繰り返す内容[8]に「完治はしたが脚部不安に侵されての心労ストレスは癒えていないのか[8]」「以前ほど実戦で走れなくなっている[9]」と戦意の衰えぶりを指摘され、勝ち鞍を挙げること無く2011年10月の東京ハイジャンプ11着を最後に競走馬登録を抹消された。

引退後は京都の京北育成牧場にて乗馬として繋養されている。

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競走成績

さらに見る 年月日, 競馬場 ...
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血統表

エーシンディーエス血統ヴァイスリージェント系 / Northern Dancer12.50% 4 x 4 , Somethingroyal 9.38% 4 x 5 , Nasrullah 6.25% 5 x 5 )(血統表の出典)

*デヒア
Dehere
1991 鹿毛
父の父
Deputy Minister
1979 黒鹿毛
Vice Regent Northern Dancer
Victoria Regina
Mint Copy Bunty' Flight
Shakney
父の母
Sister Dot
1985 鹿毛
Secretariat Bold Ruler
Somethingroyal
Sword Game Damascus
Bill and I

エイシンサンサン
1992 栗毛
*キャロルハウス
Carroll House(愛)
1985 栗毛
Lord Gayle Sir Gaylord
Sticky Case
Tuna *シルバーシャーク
Vimelette
母の母
エイシンギャロップ
1984 栗毛
*ノーザンテースト Northern Dancer
Lady Victoria
マルブツウイドー *マリーノ
*ホイスリングウインドII F-No.8-c

脚注

外部リンク

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