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小林淳一
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小林 淳一(こばやし じゅんいち、1973年3月12日 - )は、栃木県出身の元騎手、競馬学校教官。愛称は「コバジュン」。
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来歴
中学1年時に宇都宮にある育成牧場で乗馬を始め、競馬学校に2度目の受験で合格した[2]。1992年3月に競馬学校第8期生、美浦・佐藤林次郎厩舎所属の騎手としてデビュー。同期には上村洋行、後藤浩輝らがいる。
1年目に20勝をマークし、これ以降概ね10勝から20勝台を維持。1997年には福島リーディング上位に食い込むなど頭角を現し始め、これと前後する時期に所属していた佐藤厩舎を離れフリーへと転身。
この後はトウカイポイント・イングランディーレ・ホットシークレットなどの実績馬への騎乗も集まるようになり、2001年にはフローラステークス・オイワケヒカリで重賞初勝利を果たすが、2003年頃より勝利数・騎乗数が緩やかに下降。人気馬に騎乗する機会も少なくなったが、実力を発揮するために荒れるレースがあった。2005年10月22日の東京第12競走において16頭中最低人気のゼンノエキスプレスで勝利し、3連単1846万9120円という当時のJRA史上最高配当が飛び出す大波乱の中心となった。2007年5月6日のNHKマイルカップでは18頭中最低人気のムラマサノヨートーで3着に入り、17番人気で勝利したピンクカメオと共に当時のJRA重賞最高配当となる3連単973万9870円の波乱劇を演出するなど、記録的高配当となったレースで馬券対象に名を連ねている。2008年には12年ぶりに勝利数が2桁を割り込むなど以降は勝利数1桁台と低迷が続き、2011年には僅か3勝という結果に終わる。
数年前にJRAより競馬学校教官への転身を打診されるも「もうしばらく騎手で頑張りたい」と一度は誘いを辞退した小林であったが、この年に再度オファーを受けたことや自己ワーストとなる3勝という成績に納得ができないことから引退を決意[3]。2012年3月、ラストレースでは出遅れて最下位10着に終わり、通算7842戦299勝で引退。「最後に“ケツ”というのも僕らしい。あと1勝して300勝を達成したかったな」とコメントした[4]。
引退後は競馬学校の教官へと転身し[5]、2016年に息子の凌大が競馬学校に35期生として入学、のち騎手デビューした[6][7]。
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騎乗成績
- 100勝 - 1998年10月18日福島5R[8]
- 200勝 - 2002年11月10日中山10R
主な騎乗馬
- オイワケヒカリ(2001年フローラステークス)
- イングランディーレ(2003年ダイヤモンドステークス・日経賞)
- トウカイポイント(2001年カブトヤマ記念2着)
- アサヒライジング(2006年クイーンカップ2着)
- ムラマサノヨートー(2007年NHKマイルカップ3着)
- その他
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脚注
関連項目
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