トップQs
タイムライン
チャット
視点

橋本達弥

ウィキペディアから

Remove ads

橋本 達弥(はしもと たつや、2000年7月18日 - )は、兵庫県神戸市出身[2]プロ野球選手投手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。

概要 横浜DeNAベイスターズ #35, 基本情報 ...
Remove ads

経歴

要約
視点

プロ入り前

神戸市立木津小学校1年時に野球を始め、神戸市立桜が丘中学校では軟式野球部に所属し、投手と内野手を務めていた[2]。子どもの頃からプロ野球選手になることが夢だったが、中学の時点で線が細く体が小さかったこともあり夢を断念し、県内トップの公立進学校である兵庫県立長田高等学校に進学する[3]。公立高校のため練習時間は限られていたが[4]、2年生から本格的に投手を始めると、常時140 km/h台を投げるようになる[5]。3年夏の兵庫県大会ではベスト8に進出するが、準々決勝で小園海斗擁する報徳学園と対戦し0-1で敗退[4]。しかし、同大会で最速147 km/hを記録するなど好投を見せ、プロからも注目されるようになる[6]

より高いレベルを求め、大学は慶應義塾大学環境情報学部に進学[3]。入学前の2月からキャンプに参加していたが、3月に胃腸炎のような症状と体調不良が続き、国指定の難病である「IgA腎症」と診断され入院生活を送る[7]。一時は体重も13kg減少したが、5月に大学に戻りリハビリを経て、大学2年の8月に行われた春季リーグ戦[注 1]でデビューを飾る[7]。抑え投手を任されるようになった3年春の第70回全日本大学野球選手権記念大会では胴上げ投手となり、34年ぶりの優勝に貢献した[8]。4年春のリーグ戦では防御率1.53で最優秀防御率賞のタイトルを獲得[9]。侍ジャパン大学代表にも選ばれ、7月にオランダで行われたハーレムベースボールウィークにも出場した[4]。大学の同期には萩尾匡也がいた[10]

2022年10月20日、ドラフト会議にて横浜DeNAベイスターズから5位指名を受ける[11]。11月21日、横浜市内のホテルにて交渉を行い、契約金3500万円、年俸780万円(金額は推定)で入団に合意した[12]。背番号は35。同大学から直接横浜にプロ入りするのは山下大輔以来49年ぶり、また、長田高校の卒業生としては初のプロ野球選手となる[13]

DeNA時代

2023年は二軍公式戦(イースタン・リーグ)32試合(33イニング)に登板し、4勝3敗、防御率3.00という成績を残したものの[14]、一軍デビューを果たすことなくシーズンを終えた。

2024年は開幕からイースタン・リーグで登板し、5試合で防御率5.79を記録するも5月17日を最後に登板がなく、その後6月20日に球団より右肩の神経剥離術を行ったことが発表された[15][16]。11月15日に育成契約への移行が発表された[17]。背番号は035に変更となる[18]

2025年は戦線に復帰し、7月25日までに二軍公式戦22試合に登板。0勝2敗、防御率6.10の成績ながら、一軍で抑えを務めていた入江大生セットアッパーを務めていたローワン・ウィックが故障で離脱したことにより、救援陣の強化が急務となったチーム事情もあり、7月26日、支配下復帰が発表された[19]。背番号は35に戻る[20]。8月8日、3年目にして初めて出場選手登録された[21]。同日の対読売ジャイアンツ戦(横浜スタジアム)、9点ビハインドの場面ながら中継ぎで一軍初登板を果たすも、1回2失点の内容だった[22]

Remove ads

選手としての特徴

最速152 km/h[12]の力強い直球と落差のあるフォークボールを武器に、奪三振能力の高さを持ち味とし[19]、大学時代は抑え投手として活躍した[12]。フォークを投げるようになったのは高校2年からで、公立高校が強豪校に勝つためには、相手がマシンでは練習できないボールを磨こうと考え、投げるようになった[23]

詳細情報

記録

初記録

背番号

  • 35(2023年 - 2024年、2025年7月26日 - )
  • 035(2025年 - 同年7月25日)

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads