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正木清

日本の政治家 (1900-1961) ウィキペディアから

正木清
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正木 清(まさき きよし、1900年明治33年)5月30日 - 1961年昭和36年)4月12日)は、日本政治家。位階は従三位

概要 生年月日, 出生地 ...

衆議院議員(7期)。衆議院副議長(第40代)を務めた。

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来歴・人物

福島県石城郡好間村(現いわき市)出身。小学校卒業後、炭坑給仕などを経て1921年大正10年)に上京するが、関東大震災で帰郷。1924年(大正13年)24歳の時北海道小樽市に移住し、鉄筋工などとして働く。小樽総労働組合に参加し、北海道地方評議会常任執行委員として多数の争議を指導する。1928年昭和3年)の三・一五事件で2年間投獄される。出獄後は日雇労働を経て、1931年(昭和6年)、新労農党に参加。1934年(昭和9年)、全札幌労働者組合の支持を得て8年ぶりとなる無産派札幌市議に選出される。1936年(昭和11年)より北海道議会議員を2期務める。

1937年(昭和12年)、運輸業を自営する傍ら社会大衆党に参加。1942年第21回衆議院議員総選挙に、非推薦議員ながら北海道1区から立候補し初当選。戦後、日本社会党に入党し芦田内閣商工政務次官1949年の総選挙では落選したが、その次の1952年総選挙左派社会党から出馬し復帰。

左右社会党統一後の1958年12月13日、同じ選挙区選出の椎熊三郎の辞任に伴い第40代衆議院副議長に就任。60年安保の強行採決に反対して副議長を辞任し、1960年1月30日まで務めた。ほかに、衆議院運輸及び交通委員会委員長、衆議院運輸委員会理事、衆議院運輸委員会委員などの要職を歴任した。第29回衆議院議員総選挙で落選した。

翌1961年4月12日、死去。60歳没。同月14日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付で従三位勲一等に叙され、瑞宝章を追贈された[1]

ジャーナリスト本澤二郎は、義理の甥にあたる。

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参考文献

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