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武田信正
江戸時代前期の人物、信玄の曾孫 ウィキペディアから
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武田 信正(たけだ のぶまさ)は、江戸時代前期の人物。武田信道の子。武田信玄の曾孫にあたる。子に武田信興。妻は内藤忠興の娘。
来歴
慶長18年(1613年)、大久保長安の死後に起こった大久保長安事件に連座して、父信道とともに松平康長に預けられた。のち、元和元年(1615年)に伊豆大島に配流され、同島の野増に居を構える。父が没したのちも赦されず在島したが、上野寛永寺の公海[注釈 1]のとりなしなどがあり、寛文3年(1663年)3月、徳川家光の十三回忌に赦免され江戸に戻った。そして磐城平藩主内藤忠興に迎えられ、忠興の娘(母は小山田信茂の娘香具姫)の婿となった。2人の間の子信興は高家に列せられている。
系譜
大島在島時、家臣富士井丹波の孫娘との間に信冬、信重、信證の3子を儲けた。長男信冬は家臣の大島家を相続し、米倉氏に仕えた。次男信重は家臣西川家を相続し、子孫は代々高家武田家に仕え、明治維新後武田に復姓。信證は家臣渡邊家を相続し、子孫は絶えている。
脚注
参考文献
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