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水町亮介

日本のバスケットボール選手 ウィキペディアから

水町亮介
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水町 亮介(みずまち りょうすけ、1981年9月10日 - )は、佐賀県伊万里市出身[2][3][4]の元プロバスケットボール選手である。B.LEAGUE秋田ノーザンハピネッツに所属していた。ポジションはガード。身長186cm、体重83kg[1]

概要 佐賀バルーナーズ, ポジション ...

佐賀西高校学習院大学卒業後の2004年に新潟アルビレックスBBの下部組織に入団。2005年のbjリーグ開幕後は大分ヒートデビルズ、新潟アルビレックスBBを経て、2010年に秋田ノーザンハピネッツに移籍。秋田ではキャプテンを務めていた。

自らのプレイを「隙間産業」に例え、目立たないながらも堅実なプレイを身上とした[5][6]

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来歴

佐賀県伊万里市にて出生。小学4年生[7]バスケットボールを始める。佐賀市立鍋島中学校を卒業後、佐賀西高校に進学し、1998年と1999年にはインターハイに出場した。競技生活は高校までで終えるつもりで学習院大学に進学するが、勧誘を受けバスケットボール部に入部。当時、学習院大は関東大学バスケットボール連盟のリーグでは11部中6部であったが、水町の在学中に9部中3部まで昇格し、4年時には3部のベストファイブにも選出された[6]

大学卒業後の2004年、に新潟アルビレックスの下部組織に入団。2005年のbjリーグドラフト会議で全体26位(7巡目1位)指名を受けて大分ヒートデビルズに入団した。大分では副キャプテンを務めたが、2007-08シーズン終了後に戦力外通告を受けた[6]

2008-09シーズンより、新潟アルビレックスBBへ移籍。2009-10シーズン終了後、エクスパンション・ドラフトにて、2010年新設された秋田ノーザンハピネッツの指名を受け、移籍。新潟からは長谷川誠ポール・ビュートラックアントニオ・バークスも、共に秋田に加わった。水町は初代キャプテンに指名され、2010-11シーズンはレギュラーとしてキャリアハイとなる出場試合数50、出場時間1,458分を記録した[1][6]

2017-18シーズンを最後に引退し、ハピネッツを運営する秋田ノーザンハピネッツ株式会社に入社、小中学生向けのバスケットボールスクールのコーチに就任した。

2020年、地元佐賀からBリーグ入りする佐賀バルーナーズのアカデミーコーチに就任[8]

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個人成績

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人物・エピソード

脚注

外部リンク

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