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水谷麻里
日本の女性歌手 ウィキペディアから
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水谷 麻里(みずたに まり、1971年(昭和46年)7月18日 - )は、1980年代後半に活動した日本の元・女性アイドル歌手。本名、江口 葉子(えぐち ようこ)。旧姓:水谷。
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略歴
1985年(昭和60年)、資生堂主催の「'86ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト」に応募、10月26日に中野サンプラザで行われた全国大会で54,129名の中からグランプリとなる。このコンテストでは酒井法子がBOMB賞を得て、デビューのきっかけを作る(ただし、BOMB賞は全国大会の直後に急遽用意されたもので、酒井への授与も同年11月22日に行われた)。カラスの鳴き真似が得意で、コンテストでも演じ、これが審査員に大受けした事から“鶴の一声”ならぬ“烏の一声”でグランプリを獲ったと評される[2][3]。
1986年(昭和61年)3月21日、「21世紀まで愛して」で歌手デビュー。オリコン初登場20位を記録した[4]。デビュー年はアイドルブーム真っ只中で、年末には銀座音楽祭・メガロポリス歌謡祭・新宿音楽祭・日本レコード大賞など多くの音楽祭が行われており、山瀬まみ・ポピンズ・真璃子・少年隊らと各新人賞を争い、彼らと共に多くの新人賞を獲得する。
1988年(昭和63年)3月25日に東京・こまばエミナースで行われたコンサートを最後にメジャーの芸能活動を休止する。その後は地元向けのDJやCMの仕事を続け、1990年(平成2年)に江口寿史と結婚し、芸能界を引退した。
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ディスコグラフィ
要約
視点
シングルは1986年(昭和61年)から1988年(昭和63年)までに8枚発売され、オリコンチャートでは内4枚が連続でベスト10入りした。最高位は「乙女日和」「春が来た」「ポキチ・ペキチ・パキチ」の週間売上9位。また、アルバムはオリジナルが3枚、ベスト盤が3枚発売されている。全てビクターからリリース。
シングル
アルバム
オリジナル・アルバム
- 1. 「なかよし」(1986年8月21日/VDR-1266)
- 2. 「ほがらか」(1987年2月5日/VDR-1352)
- 3. 「あしたの黄色をつかみたい」(1987年8月21日/VDR-1401)
- 君のヒトミは・よいところ
- アステリスクでいっぱい
- 作詞:尾関昌也/作曲:尾関裕司/編曲:南部昌江
- Misty Rain
- 作詞:受田都紀子/作曲:MAYUMI/編曲:南部昌江
- ダリア畑でつかまえて
- 作詞:佐藤純子/作曲:川上了/編曲:南部昌江
- ポキチ・ペキチ・パキチ
- 作詞:松本一起/作曲:佐藤健/編曲:戸塚修
- バカンスの嵐
- 作詞:尾関昌也/作曲:井上ヨシマサ/編曲:戸塚修
- あしたの黄色をつかみたい
- ミントあじSummer Boy
- 作詞:サエキけんぞう/作曲:井上ヨシマサ/編曲:戸塚修
- もっとハリケーン
- 作詞:佐藤純子/作曲:川上了/編曲:南部昌江
- Forever
- 作詞:サエキけんぞう/作曲:三浦一年/編曲:南部昌江
ベスト・アルバム
参加アルバム
タイアップ曲
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イメージビデオ
- きまぐれ天使(1987年(昭和62年)3月5日)
写真集
出演
テレビ
- 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ(TBSテレビ、1986年 - 1988年) 歌ゲストで数回出演
- 歌のトップテン (日本テレビ 、1986年10月20日)トップテン初ランクイン10位「乙女日和」を歌唱
- ザ・ベストテン(TBSテレビ、1987年1月15日) スポットライトで出演 「春が来た」を歌唱
- ヤングスタジオ101 (NHK、 1986年 - 1988年) 歌ゲストで数回出演
- スーパージョッキー(日本テレビ、1986年 - 1987年)歌ゲスト
- クイズ・ドレミファドン! (フジテレビ、1987年)歌ゲスト
ラジオ
- 水谷麻里のジャンピング・スニーカー→月星ジャンピングスニーカー〜水谷麻里のキラキラポップ〜(TBSラジオ)
- 有希子・章子・麻里 夜遊びしナイト(ニッポン放送)
- トキメキパジャマ MARI・NORI・AKIのドッキンタイム(ニッポン放送)
テレビドラマ
映画
- 子象物語 地上に降りた天使(1986年7月26日、東宝系公開)
CM
その他
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脚注
外部リンク
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