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水野忠啓
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水野 忠啓(みずの ただあき)は、江戸時代末期の紀伊新宮藩(紀州藩附家老)[1]第8代藩主。
生涯
寛政7年(1795年)11月11日、紀伊新宮藩世嗣・水野範明の長男として生まれる。幼名は藤四郎。
文化3年(1806年)2月15日、父・範明の死去により、祖父・忠実の嫡孫となる。文化9年(1812年)9月15日、第11代将軍・徳川家斉に拝謁し、同年12月15日には従五位下・対馬守に叙任する。文政5年(1822年)4月25日、祖父・忠実が死去し、同年6月5日に家督を継いだ。
天保6年(1835年)8月16日、長男の忠央に家督を譲って隠居し、嘉永元年(1848年)10月6日に死去した。享年54(満52歳没)。
系譜
脚注
参考文献
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