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水間百合子
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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水間百合子(みずま ゆりこ、1970年〈昭和45年〉7月22日 - )は、山形県出身、埼玉県育ちの元女子サッカー選手、元日本女子代表。現役時代のポジションはおもにフォワード。
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主な経歴
山形県に生まれ、3歳より埼玉県浦和市(現・さいたま市)にて育つ。幼稚園児のころ、運動神経のよさから器械体操をはじめる。一時期は少年野球チームにも所属したが、オリンピック出場も期待される逸材であったため小学2年のころ野球チームを退部した。しかし小学4年のころ練習中のアクシデントにより体操ができなくなり、復帰すべく努力したが小学5年で夢を断念することになった。
その後、当時流行していた漫画「キャプテン翼」の影響もありサッカーに関心を示し、近所の男の子たちと一緒になって楽しんでいたが、中学校では女子サッカー部がなかったためバレーボール部に入部。しかし浦和本太レディースFCのメンバー募集を知り、サッカーに挑むことになった。浦和本太は当初、いわゆる「ママさんサッカーチーム」として発足したため練習時間が限られていたが、同じような境遇の中学生が同時期に入部したこともあり「ジュニアチーム」に登録変更。そのため本格的なチーム活動が行われるようになった。また限られた活動時間を補うため、中学校では陸上競技部に所属し基礎体力を積み上げていった。
このような努力の結果により日本女子代表の一員に選ばれ、1990年の第11回アジア競技大会(中華人民共和国・北京)において、北朝鮮戦でゴールを決め、銀メダル獲得に貢献した。また1991年に行われた第1回FIFA女子ワールドカップ (中華人民共和国)のメンバーにも選出された。
この活躍により日本女子サッカーリーグ(JLSL:現・なでしこリーグ)所属チームからオファーを受けたが、チーム事情もあり引き続き浦和本太に所属。1992年にはチームがJLSLチャレンジリーグに参加し、JLSL昇格を目指していた。1993年、旭国際バニーズにプロ契約選手として移籍[注 1]。
1995年、練習中のケガにより一時リタイア。このことがきっかけとなってバニーズを退団し、リハビリテーションに専念することとなった。
1998年、浦和レディースFC(浦和本太レディースFC改め)の一部メンバーとともに浦和レイナスの発足に携わる。その年のシーズン限りで引退。
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個人成績
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代表歴
主な出場歴
- 1990年 - 第11回アジア競技大会 (北京)
- 1991年 - 第1回FIFA女子ワールドカップ (中華人民共和国)
試合数
- 出典: なでしこジャパン(日本女子代表)試合別出場記録[1]
出場
ゴール
関連作品
脚注
外部リンク
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