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浄法寺城

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浄法寺城
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浄法寺城(じょうぼうじじょう)は、岩手県二戸市浄法寺町八幡館にあった日本の城。別称小幡館

概要 logo浄法寺城 (岩手県), 別名 ...

概要

東に安比川が流れ、城跡は4つの郭からなり、東西350メートル、南北500メートル。主郭の八幡館の北東隅には八幡宮を祀り、大館、親城館の2郭は八幡館の西側に位置し、北は急な崖で、南に広い堀をめぐらせていたとみられる。

現在、堀と平坦地を若干残すのみであるが、発掘調査により中世の陶磁器類が出土している[1]

歴史

築城時期は不明。浄法寺氏の居城で、陸奥国二戸郡浄法寺村に所在した。

天正20年(1592年)6月、「諸城破却令」の書上には「浄法寺 山城 畠山 修理 持分」とあり破却は免れた。

ついで、慶長6年(1601年)、岩崎一揆において岩崎陣に参加したさい、浄法寺重好の不首尾があったため領地は没収され、浄法寺氏宗家は廃絶した。

脚注

参考文献

関連項目

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