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澄川喜一
日本の彫刻家 ウィキペディアから
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澄川 喜一(すみかわ きいち、1931年5月2日 - 2023年4月9日)は、日本の彫刻家。勲等は文化勲章。東京芸術大学名誉教授、学校法人國學院大學顧問[1]、日本芸術院会員、文化功労者。
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人物
島根県出身の彫刻家である。東京芸術大学美術学部教授を経て学長を務め、金沢美術工芸大学では客員教授を務めた。新制作協会の会員であり、2006年には委員長を務めた。日本芸術院会員にも選任され、文化功労者となった。また、島根県芸術文化センター グラントワのセンター長、石見美術館の館長、財団法人横浜市芸術文化振興財団の理事長などを歴任した。
来歴
生い立ち
彫刻家として
大学卒業後に助手として採用され、同大学専任講師、助教授を経て教授。東京芸術大学学長を歴任。「そりのあるかたち」シリーズで知られる作家。新制作協会会員。1998年紫綬褒章受章、2003年日本芸術院賞・恩賜賞受賞、2008年文化功労者、2020年文化勲章受章。安藤忠雄と共に、東京スカイツリーのデザイン監修を務める。
2023年4月9日、死去[2]。91歳没。
主な彫刻作品の設置場所
- 「そりとそぎのあるかたち」1981年、神戸市立中央体育館北側 神戸市中央区楠町4
- 「大蛇の彫刻」 奥出雲たたらと刀剣館 島根県仁多郡奥出雲町横田1380-1
- 「リチャード・ブラントン胸像」 1991年、横浜市横浜公園
- 「翔」「翼」國學院大學渋谷キャンパス
- 「TO THE SKY」東京スカイツリー
- 「TO THE SKY」碧南市立東中学校 昇降口前
賞歴
栄典
関連項目
出典
外部リンク
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