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無我
仏教の根本教条であり(三相)、三法印と四法印の1つでもある ウィキペディアから
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無我(むが、巴: anattā, アナッター[注 1]、梵: अनात्मन, anātman, アナートマン, nairātmya[3], ナイラートミャ)は、あらゆる事物は現象として生成しているだけであり、それ自体を根拠づける不変的な本質は存在しないという意味の仏教用語[3][4]。非我とも訳される[4]。我(アートマン)とは、永遠に変化せず(常)・独立的に自存し(一)・中心的な所有主として(主)・支配能力がある(宰)と考えられる実在を意味する[4]。全てのものにはこのような我がなく、全てのものはこのような我ではないと説くのを諸法無我という[4]。
釈迦は無我を説き、常一主宰な我を否定した上で(肉体があればこそ意識が生じるのであり、死後肉体が滅んでも霊魂は不滅であるという考えを否定した上で)、業に基づき輪廻転生すると説いた[5]。
アナッター(無我)は生物の性質であり、加えてアニッチャ(無常、非恒常、永遠でないこと)、ドゥッカ(苦、不満足なこと)を加えて仏教の三相をなし、また三法印と四法印の1つ[3][4][6][7]。これはダンマパダなど多くの経典で確認される[8]。仏教では四諦を述べ、輪廻を脱する道があると主張する[注 2][注 3]。
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概説
要約
視点
釈迦が教えを説いた当時のインドでは、バラモン教(ヒンドゥー教)の哲学者たちは、我の実在の有無を始めとする形而上学的な論争をしていた[27]。初期仏教においては、物事は互いの条件付けによって成立し存在し(縁起)五蘊の集合体を便宜上自分と呼んでいるのであり、五蘊は非我(我ならざるもの)でありまた無常であり変化し続けるため、「われ」「わがもの」などと考えて固執(我執)してはならないとして「我でない」(非我)と主張された[28]。これは、「自我が存在しない」「主体がない」「霊魂がない」ということではなく、「我」「真実の我の姿」「私のもの」という観念が否定的に説かれたと考えられている[28][27]。
釈尊はこう言っている「私が無記としたものを無記として記憶せよ。私が宣言したものを宣言したとして記憶せよ。」
- パーリ仏典無記相応のアーナンダ経では、釈迦はヴァッチャゴッタ姓の遊行者の以下の問いかけに対し、どちらにも黙して答えなかったと記されている[1]。 我(attā)はあるか? 我はないのか? この問いに答えなかった理由は、あると答えれば常住論者(sassatavādā)に同ずることになり、ないと答えれば断滅論者(ucchedavādā)に同ずることになるからと説いている[1]。
しかし、その後人無我と法無我の二つが考えられた[29]。人無我とは、人間という存在(有情、衆生)は五蘊が仮に和合した無常なるものに他ならないから、恒常不滅なる自我の存在、実体的な生命の主体というようなものは無いということ[4][29]。法無我とは、あらゆるものは縁起・因縁によって仮に成り立っているものであるから、そのものに恒常不滅なる本体、本来的に固有な独自の本性(自性)はないということである[4][29]。これは大乗仏教にも受け継がれて、般若思想では「無我」は「空」と表現された[29]。
ヒンドゥー教では永遠不滅・独立自存の個我、個人の本体としてのアートマンの存在を信じ、これを輪廻の主体と考える[30]。ここで言うアートマンは、単なる個人の我としての「自我」ではなく、世界に対峙する個人の我としてのアートマンであり、よって個我と訳される[31]。無我という言葉はウパニシャッドの atman(Sk.語 アートマン)に否定の接頭辞 an- を付けたもので、アートマンの否定の形になっているが、釈迦はウパニシャッドの形而上学的な梵我一如思想に対抗して無我(非我)を説いたのではないと考えられており、釈迦の無我説はアンチ・アートマン思想ではない[32]。仏教では、個我を個我たらしめる要素としてのアートマンの実在を、縁起の道理によって否定し、輪廻から解放される解脱への道を示した[30][33]。中村元は、初期仏教では実体としてのアートマンは認めなかったが、倫理的実践的な意味におけるアートマンはむしろ認めていたと述べている[34]。
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語源
Anattā(アナッター)は、パーリ語で an (否定の接頭辞) + attā (アートマン)を意味する[35]。
パーリ仏典
要約
視点
支配能力の否定
初転法輪にて釈迦は五蘊の無我を説き、支配能力がある(宰)我の存在を否定している。
仏教では、すべて変化する性質であり恒常不変ではないために、五蘊は我(アートマン)ではないと説く[37]。この点はバラモン教、ジャイナ教との最大の違いである[37]。
永遠性の否定
| パーリ経典に登場する沙門[38] (六師外道) (沙門果経より[39]) | |
| 沙門[38] | 論(思想)[39] |
| プーラナ・カッサパ | 無道徳論、道徳否定論: 善行も悪行もなく、善悪いずれの報いも存在しない。 |
| マッカリ・ゴーサーラ (アージーヴィカ教) |
運命決定論 (宿命論): 自己の意志による行いはなく、一切はあらかじめ決定されており、定められた期間流転する定めである。 |
| アジタ・ケーサカンバリン (順世派) |
唯物論、感覚論、快楽主義: 人は四大からなり、死ぬと散じ何も残らない。善悪いずれの行いの報いもないとし、現世の快楽・享楽のみを説く。 |
| パクダ・カッチャーヤナ (常住論者) |
要素集合説:人は地・水・火・風の四元素と、苦・楽および命(霊魂)の七つの要素の集合にで構成され、それらは不変不動で相互の影響はない。 |
| マハーヴィーラ (ジャイナ教) |
相対主義、苦行主義、要素実在説: 霊魂は永遠不滅の実体であり、乞食・苦行生活で業の汚れを落とし涅槃を目指す。 |
| サンジャヤ・ベーラッティプッタ |
不可知論、懐疑論: 真理をあるがままに認識し説明することは不可能であるとする。判断の留保。 |
輪廻の主体については、ヒンズー教、ジャイナ教、無我を主張する仏教では見解が異なっているが、しかし仏教を含むこれら3つの宗教は共に生まれ変わりを信じており、以前のインド哲学の物質主義派とは違って、道徳的責任をさまざまな方法で強調している[40][41][42]。インド哲学での唯物論者(たとえば順世派)は、死が終わりであるとするため終末論者と呼ばれ、死後の世界、魂、再生、カルマなどはなく、死とは生き物が完全に消滅して霧散した状態であるとしていた(断見)[43]。
釈迦は、再生とカルマを否定した唯物論的・断滅論的な見解を批判している[40]。釈迦は、そのような信念は道徳的無責任と物質的快楽主義を奨励しているから、不適切で危険だという[40]。無我とは、死後の世界、再生、カルマの異熟がないことを意味するものではないから、釈迦は断滅論者とは対照的である[40]。しかし、釈迦はまた、それぞれの人間の中には、不滅で永遠の精神的実体(アートマン)が存在するとし、この精神的実体は生物・存在・形而上学的現実の性質の一部であるとする(常見)ことで、道徳的責任を支持する他のインドの宗教とも対照的である。[44][45][46]。
業、輪廻、無我
釈迦は業(カルマ)と無我の二つを基本教義としている[47]。
釈迦は、同時代の反バラモン教的な思想家たち(六師外道)の無我に関連する思想について、人間の身体は霊魂を含む7つの集合要素から成り7要素は互いに影響なく不変とするパクダ・カッチャーヤナの無因果論、またはの唯物論(アヘトゥカディティ)、カルマの道徳的責任を否定するアジタ・ケーサカンバリンの唯物論的教義である虚無論(ナッティカディティ)、マッカリ・ゴーサーラの運命決定論である無作用論(キリヤディティ)を誤った見解(邪見)と見なして批判・否定した[48]
釈迦は、「われ」「わがもの」などと考えて固執(我執)することを否定し(非我、無我)現実の苦悩の解決に役立たない形而上学的な問いには答えなかった(捨置記、無記)[49][50]
相応部比丘尼相応ヴァジラー経においては、衆生(人)を車に例え、それは部品(=五蘊)の集まりに過ぎないと説いてマーラを追い払ったと記載される(無我問答)[51][52][53]。
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無我と輪廻否定説
要約
視点
上述の通り、釈迦は無我を説き、常一主宰な我を否定した上で(肉体があればこそ意識が生じるのであり、死後肉体が滅んでも霊魂は不滅であるという考えを否定した上で)、業に基づき輪廻転生すると説いた、とするのが通説である[54]。その理論を前提とした上で釈迦が目指したものは「輪廻からの解脱を達成し、死後に天界を含めて二度と生まれ変わらないこと」(入涅槃)だったと説明される(詳しくは大乗非仏説参照)。佐々木閑は「釈迦はこの世を一切皆苦ととらえ、輪廻を断ち切って涅槃に入ることで、二度とこの世に生まれ変わらないことこそが究極の安楽だと考えた」と説明している[55][56]。
しかし日本では後世に成立したと見られる(釈迦の教説ではないと見られる)浄土教義が定着して事実上輪廻転生を否定し来世に行ったきりの来世観になっていること、お盆行事のように日本仏教は祖先崇拝信仰を取り入れ霊魂を事実上肯定していることなどから、日本仏教は「輪廻転生」や「輪廻からの解脱」などの教義が影を潜めており、昭和期には「釈迦は輪廻転生を否定した」「輪廻転生を認めるということは魂の存在を認めるということで、無我説と輪廻転生は両立しない」「輪廻転生は釈迦が方便で説いた教説で真意ではない」「釈迦は来世について沈黙した(無記)」と主張する学説が多く存在した。並川孝儀は史実の釈迦は来世について沈黙し、輪廻転生の教義は後世(釈迦入滅後)に成立したと説明した[57]。
輪廻否定説を包括的かつ批判的に扱った学者として松尾宣昭がいる[58]。松尾によれば、「輪廻の否定」には、ブッダが(1)「そもそも輪廻は存在しない、と考えた」という見解と、(2)「人は輪廻に留まるべきではない、と考えた」という見解があり、両方とも輪廻を否定しているものの、その意味内容は全く異なるとする[59]。この二つの考えは二律背反に見えるが、(1')「ブッダは輪廻の存在を否定していたが、当時の人々が輪廻の観念に縛られていたため、仮に是認した」だからこそ(2')「輪廻という想念に留まるべきではないと説いた」として意味を読みかえる場合に、両立する。このような立場を松尾宣昭は「輪廻想念説」と呼び、このような立場を支持する記述はパーリ聖典には見出されず、「修業未完成者は死後輪廻する、ゆえに修行を完成させて輪廻から解脱せよ」という趣旨の、「輪廻は存在しない」という説とは反対の言葉が多く見出されると述べる[59]。一方で、パーリ聖典の「決定的資料性」を否定し、ある種の「仏教の本質」を想定することで、そこから帰結的に輪廻否定が導出されるとする立場もあるとする。松尾によれば和辻哲郎は「仏教の本質」として無我説を用い、自らの輪廻否定説の根拠としているという[60][59][注 4]。さらに「仏教の本質」を後代に明確化された空の教説に見出し、(1)と(2)の両立性を二諦説によって説明する見解もある[59]。松尾によると、空を用いた輪廻否定は、実質的には無我説を用いたものと同じであり、この場合は「龍樹がブッダの真意を説明した」テキストである『中論』を根拠として提示することができると述べている[注 5]。
近現代のインドでは反カースト運動や、不可触民の差別撤廃を求める運動が高まり、その運動の中でそれらの差別の根底にはヒンドゥー教の宗教観(輪廻転生や業論(カルマ論))に原因がある(例えば不可触民は前世の悪業の報いを受けているのだから差別されて当然という見方など)とされた。そのため仏教復興に関心が集まり、ビームラーオ・アンベードカルの尽力でインドにナヴァヤーナ派が誕生した。アンベードカルは、独自のパーリ仏典研究の結果、「ブッダは輪廻転生とカルマ論を否定した」という見解を得た。この解釈はアンベードカルの死後、ナヴァヤーナ派の指導者となった佐々井秀嶺にも受け継がれている[61][62]。
上記の「釈迦は輪廻転生を否定した」という学説について、現在の日本の宗教学界では下火になっている。大谷大学教授の新田智通は、原始仏教は明らかに輪廻転生を前提とし、輪廻からの解脱をテーマとしているため、並川孝儀の学説のように「釈迦は輪廻転生を否定した」という見解を採ると教義が破綻し成立しないと説明している[63]。
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脚注
参考文献
関連項目
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