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片瀬清利
日本のプロ野球選手 (1964-) ウィキペディアから
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片瀬 清利(かたせ きよとし、1964年2月3日 - )は、静岡県榛原郡榛原町(現:牧之原市)出身[1]の元プロ野球選手(投手)。1993年から1996年までの登録名は、「片瀬 聖敏」(読み同じ)。
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来歴・人物
静岡県立榛原高等学校では、ノーヒット・ノーランを2回記録[1]。高校卒業後は、東都大学野球連盟の駒澤大学に進学するも、2年生の夏に急性肝炎となり3年春に中退[1]。その後、社会人野球の東京ガスに入社[1]。通算27勝で全日本選抜にも選出された[1]。1987年オフに、ドラフト外で広島東洋カープに入団[1]。
2年目の1989年に一軍初登板を果たし、1991年はウエスタン・リーグ最多勝、5年目の1992年には右の中継ぎとして一軍に定着。その後先発に転向し、完投勝利・完封勝利もマークした。しかし、1994年以降は不振に喘ぎ、1996年11月に広島を自由契約となり、テスト入団にて阪神タイガースに移籍[1]。1998年にはウエスタン・リーグで最優秀救援賞を獲得したが、一軍の戦力とはならず、1999年限りで現役を引退[1]。
阪神のファームで抑えとして安定した成績であった頃は、松村邦洋が「鳴尾浜の大魔神」と称していた。
引退後は、古巣である東京ガスの投手コーチとしてアマチュア球界復帰を果した[1]。
現在は、地元でお茶の斡旋業を営んでいる。
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詳細情報
年度別投手成績
記録
- 初登板:1989年6月1日、対中日ドラゴンズ7回戦(広島市民球場)、7回表から3番手で救援登板、2回2失点
- 初先発登板:1991年10月14日、対阪神タイガース26回戦(阪神甲子園球場)、4回無失点で勝敗つかず
- 初勝利:1992年4月16日、対読売ジャイアンツ4回戦(東京ドーム)、5回裏から3番手で救援登板、3回2/3無失点
- 初セーブ:1992年4月21日、対中日ドラゴンズ1回戦(長良川球場)、6回表2死より4番手で救援登板・完了、3回1/3無失点
- 初先発勝利・初完投勝利:1992年5月26日、対中日ドラゴンズ9回戦(ナゴヤ球場)、9回3失点
- 初完封:1992年6月20日、対中日ドラゴンズ12回戦(広島市民球場)
背番号
- 15 (1988年 - 1996年)
- 48 (1997年 - 1999年)
登録名
- 片瀬 清利 (かたせ きよとし、1988年 - 1992年、1997年 - 1999年)
- 片瀬 聖敏 (かたせ きよとし、(1993年 - 1996年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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