トップQs
タイムライン
チャット
視点
牧野伸
日本の野球選手 (1937-) ウィキペディアから
Remove ads
牧野 伸(まきの のぼる、1937年6月5日 - )は、福井県出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球審判員。
Remove ads
経歴
武生高校ではエースとして1954年夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)で新宮高の前岡勤也と投げ合い0-2で惜敗。高校同期の田中平八郎とともに、1956年に東映フライヤーズに入団。その年ルーキーながら開幕投手を務め、翌年には15勝をマークするなど将来を嘱望されていたが、3年目の1958年から調子が下がり始め、1961年オフに近鉄バファローズに移籍。1964年には久保征弘に次ぐ27試合に先発し8勝をあげるが、その後は登板機会が漸減し、1968年限りで現役を引退した。スリークォーターからのスライダー、シュートが武器。
引退後はパシフィック・リーグの関西審判部に入局し審判に転向。1969年から引退した1994年までつとめた。審判員袖番号は26(1977年初採用から1994年引退まで)。通算出場試合数1969試合。晩成型の審判であり、オールスターには4回、日本シリーズには52歳で初出場した1989年と1991年の2回出場している。
1986年の新ストライクゾーン導入時に、パ・リーグの審判の大半がインサイドプロテクターに切替える中、最後までアウトサイドプロテクター使用にこだわり続けた。
大沢啓二監督、鈴木啓示監督から激しい抗議を受けて退場処分とした直後、1994年6月末をもって、「審判を続けていく自信がない」として辞職[1]。
Remove ads
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
- 初記録
- その他の記録
- オールスターゲーム出場:1回 (1957年)
背番号
- 37(1956年 - 1961年)
- 32(1962年 - 1968年)
Remove ads
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads