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狩野重信
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狩野 重信(かのう しげのぶ、生没年不詳)は、日本の桃山時代後期から江戸時代初期に活躍した狩野派の絵師。同時代に「重信」を名乗った絵師は多数存在したようだが、ここでは号の宗眼と合わせて狩野宗眼重信と呼ばれる絵師について述べる。
略伝
狩野永徳の弟・狩野宗秀の門人とされる。談山神社文書の中にある「大織冠御宮繪師筆子米請取」には、慶長3年(1598年)「繪師宗原」が談山神社各子院から合わせて画料23石5斗を受け取った事を記している。「宗原」と「宗眼」の同音なことから両者に何らかの関係があるとも考えられ[1]、談山神社に「三十六歌仙図扁額」が残っていることから宗眼重信本人とするのが自然である[2]。また、慶長7年(1602年)の加納城築城時には、渡辺了慶とともにその画事を務めたという[2]。
作品は約20点ほど確認されている。永徳・宗秀から引き継いだ桃山的な大胆さと、次代の狩野光信的な繊細さが共存しつつも、未だ狩野探幽様式は見られないという過渡期の様式を示す。また、永徳様式を整理・図形化した海北友松の画風とも同時代性が感じられる。跡取りや弟子がいたかは定かでないが、寛文8年(1668年)から寛文13年(1673年)の間に可能は絵師たち36名が合作した「牛馬図双幅」に参加した一人、鈴木宗眼守道が重信の息子とみられる[3]。
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作品
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脚注
参考文献
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