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生地鼻灯台

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生地鼻灯台(いくじばなとうだい)は、富山県黒部市生地鼻に立つ中型灯台。白地に2本の黒いラインという目立った外観で、北陸地方では、舳倉島(へくらじま)灯台に続いて第2番目の高さ、遠く滑川市からでも、肉眼で確認できるほか、富山湾対岸の能登半島からも識別可能である[1]。また、日本海富山湾の境界の役割も担っている。通称「生地の灯台」。「越湖の灯台」と呼ぶ人もいる。また白黒2色の塗装にちなんで「パンダ灯台」とも呼ばれている[3]

概要 生地鼻灯台, 航路標識番号 [国際標識番号] ...

地元のイベント行事や毎年8月19日に内部を一般公開する。2019年11月2日には、151周年灯台記念日の関連行事として一般公開を実施している[4]2022年6月18日からは、黒部市と漁村文化ミュージアムIKUJI協議会が一般開放を始めた(10月までの第3土曜日に実施)[5]

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歴史

  • 1454年享保3年)10月 最初の槍ヶ崎燈明として[6]創設[7]。なお、この燈明台は明治初年に腐朽していた[6]
  • 1897年(明治30年)9月 - 逓信省に対して旧砲台場に燈台建設を懇願したが叶えられず[6]
  • 1907年(明治40年) 最初の近代的な灯台を設置[7]
  • 1908年(明治41年) 燈台再興のための募金が生地町(現・黒部市)の町民有志に呼び掛けられる[8]
  • 1926年大正15年)6月 生地町が町費で設置(再改築)した「槍ヶ崎燈明台」[9](鉄造四角形やぐら形、高さ20m)が前身。
  • 1951年昭和26年)2月11日[10] 海上保安庁により現在の灯台が設置、初点灯されたが、日本ではじめて自動捲上装置が設置される。
  • 1969年(昭和44年) 霧信号所が廃止される。
  • 1992年平成4年)4月 自動化により、無人化される(これを以て富山県内の灯台は全て無人化された)[11]
  • 2021年令和3年) 設置70周年を記念して、塗装が塗り直される[5]
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生地鼻灯台を題材とした楽曲

燈台の歌
灯台完成時に生地小学校の教員が作詞・作曲した楽曲[12]

生地台場

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生地台場

生地鼻灯台の近くに生地台場がある。ここは、江戸時代末期、日本近海に外国船が出没するようになったため、江戸幕府は諸藩に海岸防備を命じ、加賀藩1851年嘉永4年)10月21日着工、同年11月15日に完成した砲台場[13][14]。当時は、幅約8m、長さ約63m、高さ約3.5mという巨大なもので、5門の大砲が備えられていた[14]

1965年昭和40年)10月1日富山県の史跡に指定[15][14]されたが、この台場は海岸近くにあるため砂に埋もれていて、これまで調査が行われていなかった[16]1988年(昭和63年)10月から12月まで[16]および1989年平成元年)の発掘調査の後に、同年8月から1,500万円を投じ、当時の遺構に1.5mの盛土を実施して当時の姿に復元された[14][16]が、風化しつつある。

交通

あいの風とやま鉄道生地駅から徒歩30分

脚注

関連項目

外部リンク

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