トップQs
タイムライン
チャット
視点
生駒一正
日本の戦国時代~江戸時代初期の武将・大名。讃岐高松藩初代藩主生駒親正長男で、高松藩2代藩主。従五位下讃岐守 ウィキペディアから
Remove ads
生駒 一正(いこま かずまさ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名、第2代高松藩主。生駒親正の長男。
生涯
弘治元年(1555年)、織田家の家臣・生駒親正の長男として誕生した。
初め織田信長に仕え、紀伊雑賀攻めなどで活躍した。信長死後は羽柴秀吉に仕えて数々の合戦に参加する。天正19年(1591年)、従五位下・讃岐守に叙任される。朝鮮出兵にも参加し、蔚山城の戦いなどで活躍した。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、父・親正の代わりに会津出兵に参加し、そのまま東軍に与して関ヶ原本戦で武功を挙げた。父の親正は西軍に加わっていたが一正の功により罪を問われず、1万5千石の加増となった。慶長6年(1601年)、家督を継ぐ。慶長8年(1603年)、豊臣姓を下賜されている[1]。
系譜
父母
- 生駒親正(父)
- 高木正資の養女(母)
正室
- 堀秀重の娘
側室
- 於夏 ー 山下氏
子女
養女
- 園池宗朝室 ー 生駒将監の娘
出典
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads