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田中義忠

日本の武将 (1553-1615) ウィキペディアから

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田中 義忠(たなか よしただ)は、安土桃山時代武将徳川家康の家臣。[1]

概要 凡例田中義忠, 時代 ...

生涯

松平信忠清康広忠の三代に仕えた田中末広の次男。田中氏は三河国加茂郡菅生村の土豪で、最初藤原南家貞嗣流を称していたが、末広の父・義元の代に、里見田中氏の流れを汲む[要出典]清和源氏義家流に改めた。田中姓は末広の祖父・胤道覚入道崇元が居地にちなんで初めて称したとされる。松平氏親忠)には義元の代から仕えた。[1]

当初は出家し、満性寺の勝玄の弟子となっていた。元亀3年(1572年三方ヶ原の戦いで、兄・義綱が戦死すると、徳川家康の命により還俗して田中家の家督を継ぐ。天正3年(1575年長篠の戦いでは先方衆として武田方武将の首級三つを挙げた。天正18年(1590年徳川氏の関東移封後は武蔵国足立郡に領地を与えられ、後に家康が駿府に移るとそれに従って遠江国に領地を与えられた。元和元年(1615年)5月11日駿府にて没。[1]

出典

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