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田淵光一
昭和期の実業家、政治家 ウィキペディアから
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田淵[1] 光一(たぶち こういち、1900年(明治33年)2月3日[2] – 1972年(昭和47年)5月3日[1][3])は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。「田渕」と表記される場合がある[3]。
経歴
和歌山県有田郡、のちの金屋町(現有田川町)で生まれた[1]。法政大学専門部法律科で学んだが[3]、関東大震災で負傷し中退した[1]。
1937年(昭和12年)日本林産鉱業取締役社長、1938年(昭和13年)明治採炭鉱業社長にそれぞれ就任し[1]、1942年(昭和17年)から三重県、奈良県で亜炭鉱山上野炭鉱などを経営した[1][3]。その他、奈良県亜炭鉱業会長、近畿亜炭鉱業会理事、全国亜炭鉱業連合会常任理事、奈良県亜炭協同組合理事長、石炭増産協力会推進専門委員、全国亜炭産業会総務理事、全国亜炭協会長、国際化成社長、伊賀窯業取締役などを務めた[1][3]。
1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙で和歌山県第2区から民主自由党公認で出馬して当選[1][3][4]。1952年(昭和27年)10月の第25回総選挙では落選し[5]、1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙では当選し[1][5]、衆議院議員に通算2期在任した[1][3]。この間、衆議院水産委員長、自由党人事副部長、同党務副部長、同遊説副部長、同総務などを務めた[1][3]。その後、第27回、第28回、第29回総選挙に立候補したがいずれも落選した[5]。
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脚註
参考文献
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