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白根竹介

日本の政治家 ウィキペディアから

白根竹介
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白根 竹介(しらね たけすけ、1883年明治16年)5月25日 - 1957年昭和32年)3月5日[1])は、日本内務官僚政治家貴族院議員

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白根竹介

来歴・人物

山口県出身。1908年東京帝国大学法科大学政治学科卒業後、高等文官試験行政科に合格。内務省に入省。静岡県[2]。官選の岐阜県知事石川県知事富山県知事埼玉県知事静岡県知事広島県知事兵庫県知事などを歴任。兵庫県知事時代には勅命を奉じゴーストップ事件の仲裁に入った。

1935年岡田内閣内閣書記官長に就任。1936年(昭和11年)9月2日、貴族院勅選議員に任じられ[3]研究会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[1]1947年から1949年まで千葉工業大学理事を務めた。

1957年3月5日死去。享年73。

栄典

親族

父は南埼玉郡白根勝次郎[6]。妻・末資枝は小田伴輔の長女[6]。子の白根斐夫海軍エース・パイロット(9機)。男爵白根松介は従兄弟[6]。祖父は埼玉県令を務めた白根多助[6]。叔父に官選知事を務めた白根専一河野忠三がいる。もう一人の息子・白根勝臣の妻はマルハニチロ創業者中部幾次郎の孫娘(マルハ2代目社長・中部兼市の娘で、3代目社長・中部謙吉の姪)。長姉の夫に荒川義太郎[7]。次姉の夫に下岡忠治[8]

脚注

参考文献

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